そもそもなぜ日本人が標高2000mを超える山に、鉄道を敷いたのでしょうか?

阿里山は今も昔もヒノキの原生林が広がっています。それはそれはものすごいヒノキです。樹齢500年、1000年、2000年なんて大きくて太い ヒノキがあるのです。
日本統治時代の1911年(明治44年)。このヒノキに目をつけた日本人は、伐採したヒノキを山から運ぶために、山岳鉄道を敷いたのです。これが阿里山鉄道の始まりです。それにしても、明治維新後の日本人のがむしゃらな活躍ぶりは、こんなところにも表れているのですね。


1周4㎞ほどの散策コースは、実に気分のいいコースです。森林を歩いていると、「姉潭」「妹潭」という小さな池が現れたり、「永結同心(Forever One Heart)」というハート型の木が現れたり、はたまた「四姉妹」「三兄弟」「象鼻木」「千歳檜」なんていうおもしろいネーミングの大木たちが現れたりします。そして、何と言っても圧巻なのが、巨木群と森林のあちこちに存在する巨木たちです(えーっと、今言った「千歳檜」は樹齢2000年を超える巨木でした)。
ちなみに、私が見た中での阿里山巨木のチャンピオンは左です。このヒノキには「鹿林神木」という名前がつけられています。散策コースではなく、ホテルの人に車で連れて行ってもらった所にありました。標高2350mの山の斜面に、どっしりと立っていました。高さ43m、幹周り20m(直径6.4m)の巨木です。樹齢はなんと約2700年です。
この木に限らず、巨木には「御神木(ごしんぼく)」と名づけられたものが今も何本かあります。これは、おそらく日本人の影響でしょう。
日本人といえば、日本人が建てた「樹霊塔」という大きな石碑が今もあります。阿里山の木をいっぱい伐採した日本人ですが、一方で木の霊を慰めるこんな碑も建てていたのです。 写真右下にある石碑の案内標示には次のように書いてあります。
1935年、日本人が阿里山を開発し大量の樹木を伐採した際に、生き物には皆、魂があるとの考えから、この塔を建立し樹木の霊を慰めた。一つ一つの輪が年輪を表している。(一つの輪が500年)、脇に刻まれている跡は伐採の際の鋸の跡。
1935年(昭和10年)に建てられた石碑ですが、よく考えられていますね。それにしても、「生き物には皆、魂があるとの考え」こそ、日本人です。古代日本人のこうした考えは、現代人のみなさんにも知っておいてもらいたいです。
この石碑の案内標示は、中国語・英語・日本語の順で3つの言語で書かれています。それだけ日本人旅行者が多いことも、阿里山との関わりが深いこともわかります。
ところでみなさん! 台湾で日本人本来の考え方に触れられることができるってとっても不思議でおもしろいでしょ。
《追記》散策コース内には「慈雲寺」という寺があります。阿里山開発初期の1919年に「阿里山寺」として建てられました。建てたのは言うまでもなく、日本人です。中には、1918年(大正7年)にタイ国王より贈られた釈迦仏があるそうです。
これには、おもしろい話があります。当時、日本で一番高い山は富士山ではなくて、台湾の新高山(にいたかやま)でした。それは台湾が日本の植民地で、日本の領土だったからです。この仏像をいただいた大正天皇は、日本最高峰の新高山(にいたかやま)に仏像を安置しようと考えました。しかし、新高山は未開発であったため、阿里山が選ばれ、この寺が建てられたのです。
というわけで、阿里山には大正天皇が建てたといってもいいお寺があるのです。そうそう、名前が「慈雲寺」に変わったのは、1945年、戦後になってからです。
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