2009年1月 6日 (火)

信心深い台湾人 -龍山寺の巻-

1月1日。午後。
我が家の近くの氏神様へ初詣に出かけました。
氏神様を祭ってある神社は、白山神社。
“今年の幸運”をしっかり祈願してきました。
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昔ながら続いているこのような風習は、日本人としてぜひ毎年行いたいものです。

日本の神社は厳か(おごそか)でいいですよね。
日本全国津々浦々、神社の周りには、小さいながらも鎮守の森があり、静かで落ち着いた雰囲気があります。

こうした中で、日本人は古代から自然の中で信仰心を育んできたのでしょう。

さて、台湾ですが、台湾人も信仰心が厚いです。いえ、この言い方は語弊がありました。台湾人「も」ではなく、「は」でした。
台湾人は日本人よりずーっと信仰心が厚いです。

初詣する日本人は未だ多くいますが、普段日常的に、お寺や神社にお参りする人はそれほどいないでしょう。かく言う私も、その一人です。
でも台湾人は、日本人に比べると「廟(びょう:寺のこと)」に行ってお参りすることが多いです。

台北の万華という地区に、1738年に建てられた「龍山寺」という廟(お寺)があります。ご本尊は仏教の観音菩薩ですが、道教の神様も祀られていて、台湾らしく多くの神様がなかよくいっしょにいる廟なのです。
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この日は8月のごく普通の日でした。多くの人が参拝していました。

お年寄りだけではなく、若い子も結構います。
010_2人々はたくさんのお供え物を神様に捧げ、真剣にお参りするのです。
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ねっ。手を合わせている若い女性がいるでしょう。

どんな宗教であれ、人が信仰する心は大切にしていきたいですね。

ところで、みなさんは初詣に行きましたか?

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2008年4月13日 (日)

聖火リレーを拒否した台湾

今、連日のように、北京オリンピックの聖火リレーが世界各地で問題になっています。
でも、北京オリンピックの聖火リレー問題は今に始まったことではありません。
台湾では1年ほど前から、聖火リレーが問題となっていました。

昨年2007427日。北京五輪委員会が聖火リレーのルートを発表しました。
それは、
長野(日本)→ソウル(韓国)→平壌(北朝鮮)→ホーチミン(ベトナム)→台北(台湾)→香港(中国)→マカオ(中国)→海南島(中国)→中国本土というルートになっていました。
これに、台湾五輪委員会が噛み付きました。

なぜかわかりますか?
ルートをよーく見て予想してみてください。

台湾五輪委員会の蔡辰威会長は、当時このようなことを言いました。
「北京五輪委員会は台湾を中国国内の一部にしようとしている。このルートはとうてい容認できない」
確かにそう見えます。
ホーチミン(ベトナム)→台北(台湾:中国???)→香港(中国)→マカオ(中国)→海南島(中国)→中国本土
ベトナムの次は台湾で、その後はずーっと中国国内を巡ります。
「台湾は中国の一部」と考える中国からすれば、「しめしめ…」といったところだったのでしょう。

確かにこのルートは地理的に考えても少し変です。
台北(台湾)は、平壌(北朝鮮)とホーチミン(ベトナム)の間にあります。
台湾を一つの国と認めていれば、平壌(北朝鮮)→台北(台湾)→ホーチミン(ベトナム)→香港(中国)→
というルートになったかもしれません。

結局、すったもんだした挙句、昨年9月。台湾は正式に聖火リレーの通過を拒否しました。
もちろん、台湾にも聖火リレーを通過させようという人達がいました。
けれど、そういう議員の一人も今ではこう言っています。
「現在の情勢を見ると、来なくてよかった」

北京オリンピックの聖火リレーには、チベット問題だけでなく台湾問題もあったのです。

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2008年1月26日 (土)

問題の地球儀はこれだ!

 前回のブログに書いた問題の地球儀。いや、正確には地球儀型ビーチボール。これを私はなんと持っていました。

 ブログを書き終わった後、地球儀型ビーチボールを以前買っていたことを思い出しました。購入したのは台湾在住より何年も前のことです。ただ、いつ頃どこで買ったのか、全く記憶がありません。ビーチボールが地球儀という面白さだけで買いました。

 これが製造会社です。

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 いい名前の地球儀でしょう。いやビーチボールでしょう。
 ビーチボールゆえ、教室に置いておいたら、6年生のクラスの子どもたちがビシバシと叩いてバレーボールの真似事をして遊んでいました。そのため、自然と穴が空いてしまいました。悲しいかな、地球は壊れてしまいました(笑)。

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 どうですか、これ?
 「台湾(中華民国)」という国はここにはありません。「台湾」という国は、完全に抹消されています。
 代わりにここにあるのは、中華人民共和国に所属する「台湾島」という一つの島です。

 実際に存在する一つの国を消すなんて、本当に恐ろしいことです。最後にもう一度、その問題部分をアップで見てください。

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 新聞によりますと、このビーチボールは現在販売中止だそうです。当然のことです。
 しかし、商品はおもしろいアイディアでGoodです。ですから「台湾島」の表記を「台湾(中華民國)」と変え、再び販売できたらいいなあ、と私は独り思っております。

【追記】
 印刷が難しいからなのか、よく見ると台北の位置も若干(じゃっかん)おかしいです。あっ、上海も・・・ですね。

 

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2008年1月20日 (日)

地球儀「台湾島」表記問題

 今月10日、驚くべきニュースが飛び込んできました。

■学研 地球儀  台湾を“抹消” ▲中国が圧力「島」に変更■
 学習教材大手「学研」(東京都大田区)グループが国内向けに販売する音声ガイド付きの地球儀が、中国政府から圧力を受けて、台湾を単なる「台湾島」と表記していることが9日、わかった。同社は「中国の工場で生産しているため、中国政府の指示に従わざるを得なかった」と釈明しているが、識者からは「国益を損ないかねない」と憂慮の声が上がっている。  【2008.1.10付「産経新聞」】

 これ、とんでもない話です。台湾(中華民國)という国を地図上から無くしたのです。それも日本の子どものための日本の学習教材会社が! 中国(中華人民共和国)の圧力に屈して!!

 そこまでして売りたいのでしょうか。

 なんでもこの「スマートグローブ」という地球儀は、各国の地理や文化などの情報を音声で案内するシステムが組み込まれているとかで、「台湾」のところを指すと、「台湾島」「中華人民共和国」と音声ガイドするそうです。

 台湾なんて関係ねぇ! なーんて思っている人。そういう無関心はたいへんまずいのです。中国の思うつぼです。何しろ、この地球儀は、台湾の他にも中国の見方で地図が作られているのですから。
 例えば、日本の北方です。樺太の南半分や北方領土以北の千島列島はロシア領と色分けされているそうです。

 これらは(筆者注:上記部分)サンフランシスコ講和条約(1951年)で日本が領有権を放棄した後、帰属先が未定となっているため、日本の地理の教科書では、日露のいずれにも属さない白表記になっている。  【同掲紙】

 中国はしたたかです。何も言わないでいると、それが真実のようになってしまいます。だから無関心はまずいのです。
 この記事を読み、一人怒っていたら、1週間後の17日、次の新聞記事を目にしました。

■「台湾島」表記問題  地球儀パズル ビーチボールも■
 「台湾島」表記があったのは、ジグソーパズルなどの老舗「やのまん」(東京都台東区)が製造・販売する「3Dジグソーパズル地球儀」。同社は16日、この部分のピース交換の受け付けを始めた。今後、製造する商品も「台湾」表記に変更する。
 ・・・略・・・
 一方、東京都内の輸入地図販売店がオリジナル商品として開発した地球儀型ビーチボールも「台湾島」があり、16日、販売中止を決めた。生産拠点を中国に移したのは2年前だが、販売を始めた約20年前から「台湾島」表記。「当時の経緯を知る者はいない」という。
 同社は「こうなっては中国では製造できない。売れ筋で、唯一のオリジナル商品だっただけに大きな打撃だ」と苦渋をにじませている。  【2008.1017付「産経新聞」】

 な、な、なんとまだあったのです。こりゃあどういうことでしょうか! と新たな怒りをもったたった2日後に、またしてもこんな見出しの記事を目にしました。

■地球儀また「台湾島」 名古屋の会社 自主回収へ■
 ・・・文具・事務用品販売の「デミカ」(名古屋市)が販売していた地球儀も「台湾島」と表記されていたことが18日、分かった。同社は店頭の商品を回収するとともに、購入客に商品引き取りなどを呼びかけている。  【2008.10.19付「産経新聞」】

 後から後から次々と出てきます。なんだか昨年の食品偽装問題のような感じになってきました。地球儀を作り販売している人たちには、日本や台湾のことを考える良心はないのでしょうか。

 と新聞に影響されて、エラソーに書きました。
 地球儀は本当に問題ですが、実はそれに負けず劣らず身近な小学校社会科の教科書も問題だと、私は考えます。(【本ブログ「教科書にない台湾 Part1」(http://omoshiro-taiwan.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_cc6c.html)】)
 後追い記事も充実していた「産経新聞」はこの点、どう考えているのでしょうか。

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2008年1月17日 (木)

「国連」という意図的な誤訳

 昨年暮れ。台湾から帰る時、桃園国際空港で『新台灣(New Taiwan)』N0.614(2007.12.28~2008.1.3)という週刊誌を買いました。中国語で書かれているので、私は満足に読むことはできません。しかし、すべて漢字です。意味はなんとなくわかります。漢字って本当に便利な文字ですねぇ~。

 今回の立法委員選挙の記事が主でしたが、その中で私の目に止まる写真がありました。これです。(同掲誌P36)

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  台湾は国連に「台湾」という名前で加入しようと申請しました。けれど、国連がそれは受け入れられない、と拒絶しました。その話は以前、このブログでも書きました。(参照:本ブログ「台湾に冷たい国連」http://omoshiro-taiwan.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_2851.html)その時、総統府前では、こんな式典をやっていたんですね。

 この写真で気づいたことは2つです。
 1つは、中華民國の国旗が極端に少ないということです。「台湾」という名前で申請したのだから「中華民國」の国旗は控えたのだろうと思います。
 もう1つは「国連」ではなく、「連合国」と書かれている点です。総統府の建物正面に書かれている文字をよーく見てください。
 「台灣加入聯合國」となっています。「国連」つまり「国際連合」ではないんですよ。

 なぜ「国連」ではなく「連合国」なのでしょうか。これについてくわしく書かれている本がありますので、それを引用します。少し長いですが、お付き合い下さい。

 ・・・政府や省庁にとって都合よく解釈するために、英語の用語をあえて“誤訳”することがあります。
 たとえば国連です。国連(国際連合)の英文は、「United Nations」です。これは、そのまま訳せば「連合国」となります。第二次世界大戦で日本やドイツ、イタリアと戦っていたアメリカやイギリスなどは「連合国」と呼ばれていました。「国連」とは、第二次世界大戦を戦っていた連合国が、二度と世界戦争が起きないようにしようとつくった国際的な枠組みです。そこで、戦争中の「連合国」をそのまま使っているのです。
 しかし、敗戦国の日本が「United Nations」に加盟するとき、外務省は、旧敵国の連合国に加わるというイメージを避けるため、これを「国際連合」と訳しました。意図的な誤訳といっていいほどだと思います。
 「国連」などという言い方をすると、日本人は、まるで将来は「世界連邦」にでも発展するような理想の組織と思ってしまいがちですが、実際は、連合国にとって都合のいい組織として発足したものです。ですから、連合国で中心になっていた国々が、安全保障理事会の常任理事国として「拒否権」を持つなど、特別な力を持っているのです。
(池上 彰『ニュースの読み方使い方』新潮文庫・P203-204)

 筆者の池上氏は、11年間にわたりNHKの「週刊こどもニュース」でお父さん役をやっていた方です。知っている人も多いでしょう。
 その池上氏がはっきり言っています。「国連」とは「連合国」の意図的な誤訳である、と。だから、理想的な組織ではなく、連合国にとって都合のいい組織なのだ、と。

 イケガミお父さんの言っていることが正しいことは、台湾総督府前での式典写真が見事に証明しています。中国語では「国連」ではなく「連合国」と正しく訳しているからです。
 また、台湾がいくら「仲間に入れてくれー」と言っても、常任理事国が「いいよ」と言わない限り、残念ながら入れないのです。常任理事国には中国がいます。私は台湾には国連に入ってほしいと思っていますが、現実を考えるとなかなか難しいことがわかります。

 小学6年生の社会科では国連について学びます。しかし、ここに書いたことは、おそらく学校では学ばないでしょう。
 国連の見方・考え方にもいろいろあります。まず、それらを知ることが大切です。
 今回は「国連」という日本語訳について、台湾を通して考えてみました。 

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2008年1月 2日 (水)

國立故宮博物院はいいぞ!

 台北に住んでいた頃、故宮博物院には当然何度か足を運びました。
 そんな故宮博物院に今回の台北訪問では、あえて訪れてみました。その理由は故宮博物院が昨年リニューアルオープンしたからです。
 私が住んでいた2004~06年はずっと工事期間中で、正面玄関から入ることはできませんでした。今回はその正面から入ることができます。わくわくして、故宮博物院に行きました。

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 いやー、広くなりました。また当然ですが、きれいになりました。

 ところで、故宮博物院のことをあまり知らない人のために、台北日本人学校の小学3・4年生が使う社会科副読本から引用しましょう。

 世界でもっともすばらしい博物館4つのうちの一つに数えられています。中国の昔の皇帝の宝物が、およそ70万個も収められています。展示品は3ヵ月に1回入れ替えられますが、全部を見るには、3ヵ月に1回通い続けても、10年以上かかると、言われています。
 【『新編 みんなで学ぼう 台北 台湾』〈2006年版〉P21】

 そうなんです。簡単に言えば、故宮博物院は歴代中国皇帝のお宝がごまんとある博物館なのです。
 それで今回の見学でやはりよかったのが、数々の工芸品です。
 工芸品と言えば、我がモノづくり日本が最高です。がしかーし、故宮博物院にある数々の工芸品は目を見張るものがたくさんあります。
 もう何度か来ているから1時間ほどパアーと見て帰ろう! なんて安易に考えていたのが間違えでした。あっという間に2時間が過ぎてしまいました。

 故宮博物院のお宝には、人を惹き止める力があります。

 

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2008年1月 1日 (火)

古き善き日本人を台湾人に見る

 新年快楽! あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願い申し上げます。

 元旦ということで、今回の台北訪問での善きエピソードを一つお話ししましょう。 

Img_3100_7 リニューアルオープンした故宮博物院に行こうと、左の「福林國小」というバス停で待っている時のことでした。
 台北のバス停には、基本的に時刻表がありません。写真のように、広告とその裏にバス路線図(バスルート)があるだけです。
 妻と私の二人で、どのバスが故宮博物院に行くのか、バス路線図を眺めていると、一人の品の良いおばあさんが話しかけてきました。
 「どちらまで行かれるのですか?」
 きれいな発音の日本語です。私は答えました。
 「故宮博物院です。」
 「それなら304のバスで行きますね。」
 おばあさんは親切かつ丁寧に教えてくれました。思わず今度は私から話しかけてしまいました。
 「ありがとうございます。それにしても日本語、お上手ですね。」
 おばあさんは笑顔で答えてくれました。
 「日本時代にね。学校で習いましたから。」
 「えっ、そうだとすると、おいくつなんですか?」
 見るからに知的で品の良いおばあさんは、そんなに高齢には見えません。
 「78です。もうすぐ80ですよ。」
 「えーっ! お若いですね。そんな年齢には見えませんよ。」

 おばあさんは「日本統治時代(日本が台湾を植民地にしていた時代)」を「日本時代」とはっきり言いました。それも懐かしむかのように・・・。
 おそらく彼女は優秀な子どもだったのでしょう。日本語の発音もきれいで滑らかでした。一瞬、日本人のお年寄りかと思ったほどでしたから。

 そうした会話をしている最中、255のバスが走ってきました。
 すると、おばあさんは急に手を挙げ、言いました。
 「あのバスも故宮に行きますよ。」
 台湾のバスは、バス停にただ待っているだけでは止まりません。タクシーのように手を挙げないと、走り去ってしまいます。
 おばあさんは私たち二人のために255のバスを止め、さらにドアが開くと、運転手に道から中国語で話し始めました。どうやら私たち二人の日本人が故宮博物院に行くので、ちゃんと降ろしてやってほしい、と話しているようでした。
 バスに乗り込んだ私たちは、バス停に残っているおばあさんに向かって「ありがとうございました。」「謝謝您。」とお礼を言いました。
 あばあさんは笑顔で手を振ってくれました。

 台北を訪れて2日目の朝。名も知らぬおばあさんの善き行為に、気分をよくして、故宮博物院に向かうことができました。
 親切な台湾人のおばあさん。きれいな日本語を話す台湾人のおばあさん。その姿に、古き善き日本人の面影を見た想いを、私はしました。

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2007年10月16日 (火)

軍事パレードをする理由

 昨日の続きです。
 なぜ今、軍事パレードをしたのでしょうか?

 ちょっとむずかしいですが、新聞記事を引用します。

 予定された巡航ミサイルの公開は、中国への刺激を避ける政治判断から先送りされたが、自主開発の超音速対艦ミサイルを披露するなど、急速な軍備拡張を進める中国を牽制(けんせい)した。        【2007年10月11日付「産経新聞」】

Chn0710111011001p11_2 最近、特に軍備を拡張し、台湾を自分のものにしようとしている中国(中華人民共和国)に向かって、「そんなことできないぞ!」と見せつけるために軍事パレードをしたのです。すごいですよね。

 まだあります。これもむずかしいですが、もうちょっとお付き合いください。

 台湾の軍事パレードは、李登輝政権下で中台関係の緊張緩和が進む中では行われなかったが、今回の復活は「自主防衛の意思と決意を引き上げる」(陳水扁総統)とともに、約半年後の総統選に向け「国威」を発揚し、域内団結を図る政権の思惑がある。国防部(国防省)によると、参加したのは兵員2300人、作戦機71機、車両213両などで、パレードは全島に生中継された。         【2007年10月11日付「産経新聞」】

 自分たちの国は自分たちで守る! みんなで一致団結しよう!―こんなメッセージも軍事パレードには含まれていたようです。
 時に、今の日本は「平和ボケ日本」と言われることがあります。平和が当たり前になりすぎちゃって、「軍事」なんて「♪でも、そんなの関係ねぇ~」という雰囲気になってしまっていることを指します。しかし実際、あまりにも軍事を軽視すると逆に怖いですね。

 すぐお隣の国・台湾では、今年16年ぶりに軍事パレードをしました。日本に比べ、ずっと小さい台湾ですが、背筋を伸ばし、堂々と大国とわたり合っている様は、実に立派でした。

【参考H.P:「産経ニュース」(写真も)http://sankei.jp.msn.com/world/china/071011/chn0710111011001-n1.htm

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2007年10月15日 (月)

16年ぶりの軍事パレード

 10月10日(水)。ちょっと前の日本では体育の日でした。
 「10」が2つ並ぶこの日は「十十」ということで、台湾では「双十節」と言います。他には「國慶節」(中華民國の実質的な建国記念日)とも言います。

 昨年、「双十節(國慶節)」についてはくわしく書きましたので、歴史はそちらをご覧下さい。
 【参考:「台湾の建国記念日=国慶節」http://omoshiro-taiwan.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_2e8c.html

 さて、双十節では毎年、総統府前の道と広場で記念式典が行われます。さまざまな団体が創意工夫を凝らしたパレードや演技をするのです。私は一度参加したことがありますが、衛兵などのパレードやパフォーマンスを見た時、「これは北朝鮮っぽいなあ。」などと思ったものでした。
 でも、一糸乱れぬ北朝鮮と異なり、小学生のパレード&パフォーマンスでは、ちょっとまちがって演技していた小学生もいました。そうした姿を見ると、なんとなく微笑ましくて安心したものでした。

 その式典のパレードに、今年はなんと16年ぶりに軍事パレードが復活しました。平和な今の日本では考えられないことです。でも、今の台湾だって、日本と同様、平和です。
 ではなぜ今頃になって、軍事パレードが復活したのでしょうか。

 この続きはまた明日!

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2007年9月 2日 (日)

宜蘭民宿物語4 -日本家屋-

 宜蘭のペンション「尚徳休閒蓮花園」では自転車を貸してくれます。そこで、自転車に乗り、宜蘭の田舎町を走りました。

 のんびりとそれでも1時間近く走ったでしょうか。駅の近くまで行きました。
 その辺りは再開発の真っ最中という感じでした。現在、宜蘭と台北は大きなトンネルでつながり、車でもすぐ行けるようになっています。たぶん、それに合わせ、町並みをきれいに整えていたのでしょう。

 再開発の真っ最中と感じたのは、町の至るところに歴史的建築物が残されており、中にはきれいに修復されているものがあったからです。また、歴史的なものに対してはきちんと説明プレートがあったからです。

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 これ、どう見たって日本の家ですよね。それもそのはず、日本統治時代の日本人の建物なのです。それを新しくリフォームし内装を変えて、今ではオシャレな喫茶店として使っています。私が中に入ってお茶を飲んだことは言うまでもありません。

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 この一画の歩道にあった宜蘭の地図です。「民國54年」というのはいいのですが、「大正3年」というのには、正直驚きました。完全に「日本」ですよね。台湾が日本であったことをはっきりと示しています。

 この近辺を散策すると、開発中のオシャレな日本式建築物や当時のままの日本家屋がしっかりと残っています。

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 「こんな瓦の日本家屋は、今の日本の方が残っていないよなあ。」
 この建物は、私が子どもの頃に住んでいた家に似ていたので、そう思いました。ちなみにレンガやコンクリートの塀は日本っぽくないですけどね。

 このように、台湾には今でも古き日本の面影が残っているのです。
 宜蘭の自転車散策での大きな収穫でした。

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2007年8月26日 (日)

日本語を話すお年寄り4 〈宜蘭・ペンションの巻〉

 台湾生活2年目の旧正月(2006年1~2月)。妻と二人で台湾の田舎のペンションに泊まることにしました。

 台湾の東側はあまり行ったことがなかったので、台北にもほど近い宜蘭(イーラン)に行くことにしました。

 台湾にもペンション(民宿)はたくさんあります。日本と同じように書店に行けば、ペンション(民宿)の雑誌もたくさん置いてあります。ペンション探しは、妻に任せました。彼女はインターネットでよさそうなペンションをいくつかピックアップしました。

 そして電話をかけました。うまくない中国語です。相手になかなか通じません。と、あるペンションで「等一下(ちょっと待って)」と中国語で言われ、しばらく待たされました。電話口に出てきたのは日本語の話せるおじいちゃんでした。

 おじいちゃんは「ぜひ、うちに来てほしい」「泊まってほしい」と妻に伝えました。その晩、その話を聞き、私もその宿でもいいかなあ、くらいで結論を出しませんでした。すると、翌日だったでしょうか。な、なんと! そのおじいちゃんから我が家に「宿は決めましたか?」と電話がかかってきました。驚きです。

 結局、そのペンションにしたのですが、大正解でした。日本語のわかるそのおじいちゃんにいろいろと宜蘭についての話を聞けましたし、ペンションではいろいろと親切にしていただきました。

 ペンションを仕切っている息子さんが「蔡」という苗字でしたから、おじいちゃんも「蔡さん」という方だと思います。宜蘭という初めての地で、日本語世代のおじいちゃんと話をし、親切にされたことは今でもいい思い出として残っています。

《追記》
 このペンションで日本語を話せるのはトライリンガルのおじいちゃんだけでした。息子さんは夫婦は話せませんでした。おじいちゃんがずっと通訳代わりで、私たちに接してくれました。
 帰り、おじいちゃんは息子さんに頼んで、私たちが行く予定だった礁溪まで車で送ってくれました。駅前での別れ際、おじいちゃんが涙ぐんでいた様子が忘れられません。

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2007年8月22日 (水)

台湾のための航空会社・JAA

 一昨日の20日(月)。台湾の航空会社「中華航空」の飛行機が、沖縄の那覇空港で爆発炎上しました。トップニュースになったので、みなさんも知っていますね。

 ところで、中華航空は「中華」とついているし、英語名を「チャイナエアライン」ということで、なんとなく大陸の中華人民共和国の航空会社と思われがちです。が、台湾の航空会社なのです。

 こういうことって知っているようで、大人も結構知りません。

 それにしても、中華航空は事故が多く、危なそうなので、台湾に行く時は乗りたくなくなってきました。もちろん、私は過去数回、中華航空に乗っていますけど。

 では台湾に行く時、みなさんは日本の航空会社だとしたら、どこがいいですか? 「日本航空(JAL)」ですか? それとも「全日空(ANA)」ですか? 実はこの両社は現在、台湾に飛行機を飛ばしていないのです。

 1972年、日本と中華民國(台湾)とは国交を断絶しました。そのため、しばらくして航空路線も断絶しました。しかし、政治的には断絶しても、実際は日本と台湾の交流は昔もさかんに行われていました。そこで、1975年、それまで乗り入れていた「日本航空」とは別に「日本アジア航空(JAA)」が設立され、日本と台湾の航空路線を一手に引き受けるようになったのです。一手と言いましたが、現在は日本アジア航空の他に「エアーニッポン」が台湾に乗り入れています。

 日本アジア航空は日本航空の子会社です。しかも、アジアと名前がついていながら、行き来しているのは台湾だけです。おもしろい航空会社でしょう。と言っても、現在は日本-台湾-香港の3箇所を行き来していますが。

 以上、JAA=日本アジア航空は台湾のために作られた航空会社なのです。こういうことって知っているようで、大人も結構しりませんよ。ホントに。

《追記》
 中華民國と国交を断絶した日本以外の外国は別会社までは作らなかったようです。さも別会社の飛行機が飛んでいるように、「アジア」などの文字を飛行機に入れ台湾まで飛ばしていたようです。
 また最近は、政治的にもだいぶ緩やかになったようで、日本航空が完全に民営化されていることもあり、日本アジア航空の飛行機に日本航空の機材が積まれたり、また全日空グループのエアーニッポンでは機材はもちろん、乗務員も全日空の人だったりしているようです。

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2007年8月19日 (日)

日本語を話すお年寄り3 〈トライリンガルの巻〉

 日本語と英語など2種類の言語を話す人のことを「バイリンガル」と言います。日本語世代のお年寄りは、日本語と中国語(北京語)の「バイリンガル」です。と言いたいところですが、実はちがいます。

 日本語世代の人たちは、子どもの頃や若い頃は学校で日本語を学び、戦後は大陸からやってきた中華民国政府により中国語(北京語)を教えられました。そして、それらのほとんどの者が家では台湾語を話して生活しているのです。バイリンガルどころではありません。日本語、中国語(北京語)、台湾語という3種類の言語を話す「トライリンガル」なのです。恐るべし!

 少し整理してみましょう。

 戦前の日本統治時代には学校で日本語を学び、戦後は中華民国政府のもと学校で中国語(北京語)を学びました。そして家では昔からの台湾語を話していたというわけです。こうして、日本語世代と言われる人たちは、必然的にトライリンガルになったのです。

 歴史の大きな流れが、トライリンガルな日本語世代を生んだといえるでしょう。

 興味深いのは、日本語世代の多く人が、多感な子どもの頃に日本語を覚えたためか、日本に対しての思い入れや郷愁の念が非常に強いことです。中には日本人より日本人らしい台湾人の方もいるほどです。

 こうしたことも今の日本人に知ってほしいことの1つです。

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2007年8月18日 (土)

日本語を話すお年寄り2 〈朝市の巻〉

 3年生の理科の学習に「モンシロチョウ(昆虫)の観察」があります。日本とちがい台北では3月にもうモンシロチョウが飛んでいます。そこで、私たち台北日本人学校の3年生担任は、学習単元を入れ替えて4月にこの学習することにしました。

 ところで、みなさんご存知のように、モンシロチョウの幼虫に必要な植物はキャベツです。4月に学習できたのは、実は前年の3年生たちがキャベツをしっかり育ててくれたからです。なのに、この年、私たちは秋にキャベツを育てることをすっかり忘れていました。

 冬になり、担任たちはキャベツの種、苗を手に入れるために、東奔西走(とうほんせいそう)しました。私は、夜市で有名な士林に種屋さんがあると聞いて、朝、行ってみました。士林夜市はおもしろいところで、朝になると同じような場所で朝市が始まるのです。

 朝市で野菜や果物は売っていますが、なかなか種や苗は売っていません。と、しばらく歩くと、種屋さんを見つけました。古いけれど、しっかりとしたお店です。
 「早安! 有没有高麗菜的種子?(おはようございます。キャベツの種ありますか?」
 たどたどしい中国語で聞いてみました。すると、お店の人は、この日本人は何を言っているのだろうという顔をし、店の奥に向かって人を呼びました。
 現れたのは、結構お年を召したおじいさんでした。

 おじいさんはいきなり日本語で言いました。
 「何を買いに来たのですか?」
 店の内外で中国語が飛び交う中、おじいさんと私はしっかり日本語で話をしました。キャベツの種は今はもうない。この時期だったら苗から育てた方がいいとも教えられました。ただし、自分の店には今はない、とのことでした。
 「小学校の時、日本語を習っただけでだいぶ忘れちゃって、今はへただけど・・・」
 と言いつつも、しっかり話すおじいさんに、私は感激してしまいました。

 このように、日本語世代のお年寄りは身近なところにたくさんいらっしゃいます。ですが高齢です。年々その人数は減っています。台湾で、こういう出逢いができるのも、あとわずかでしょう。でも、そうなると、本当に寂しくなります。

 一人でも多くの日本人に、日本を愛する日本語世代の人たちのことを知ってほしいと思っています。

《追記》
 今日で本ブログは開設丸1周年となりました。読んでくださっている方々に感謝しつつ、これからも日本と結びつきの深い台湾のことについて書き綴っていきます。よろしくお願い申し上げます。

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2007年8月15日 (水)

日本語を話すお年寄り

 今日は62回目の終戦記念日(敗戦記念日)です。太平洋戦争(大東亜戦争、第2次世界大戦)が終わって、今日で62年経ったということです。

 この戦争が終わる62年前までは、台湾は日本の植民地でした。「植民地」というと今の私たちのイメージからすると、ひどそうな感じを受けます。しかし、当時を生きていた台湾人の方々はこの「日本統治時代」をあまり悪く言いません。それどころか、驚くなかれ、当時まで日本人であったこと、日本の教育をしっかりと受けたことを誇りに思っている人も少なくありません。

 当時、台湾人への差別はそれなりにありました。しかし、それ以上に台湾人を日本人と同じようにしっかり教育したという事実の方が、彼らには印象深く残っているのです。そして、今でも日本を好きだ、という人が多くいます。

 日本の教育を受けた世代の人達を「日本語世代」と言います。日本語世代のお年寄り達は現在少なくとも70歳を軽く超えています。彼らは今でも上手な日本語を話します。特に80歳を超えた方々は、今でも日本語の本を読み、日本語で物事を考えている人もいます。そうした代表的な人が、李登輝前総統です。
【参考:07.6.3付本ブログhttp://omoshiro-taiwan.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_15e3.html

 台湾で、お年寄りに日本語で声をかけられたり、日本語で親切にされたりしたという人は結構います。かくいう私もその一人です。そうしたエピソードを次回から少し綴ってみましょう。

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2007年7月30日 (月)

中華民國と台湾Ⅱ -ナンバープレート編-

1_3 右の写真は、台北に住んでいた時、我が家の近くの道で撮った1枚です。

 別にこれといって珍しい写真ではありません。台湾名物(?)でもあるバイクが、ただ2台並んでいるだけの写真です。

 えっ? じゃあ何でこんなくだらない写真を撮ったのかって? それはこの2台のバイクのナンバープレートにあるのです。

 このバイク(スクーター)のナンバープレートをそれぞれ拡大してみましょう。次がそれです。

3

2_1

 どうです? もう気づきましたね。1台は「台北市」もう1台は「台灣省(台湾省)」になっています。

 台北市はわかるでしょう。でも、台湾省ってわかりますか? 台湾の地図を見てください。台北市や台北縣はありますが、台湾省はないでしょう。それもそのはず、現在の台湾には「省」は存在しないからです。

 「省」があるのは、中華人民共和国の地図です。福建省、広東省、四川省・・・などはみなさんも聞いたことがあるでしょう。実は台湾省というのは、それらと同じ意味なのです。大陸にある中華人民共和国は、台湾を独立した国と認めず、中華人民共和国の一地方である「台湾省」とみなしています。

 このブログの読者の方はもうおわかりだと思いますが、台湾にある中華民國も以前全く同じ考え方をしていました。「大陸のすべては中華民國の物だ。だから台湾は広大な中華民國の一地方『台湾省』に過ぎない」、とこんな考えだったのです。そのため、幻の「台灣省」が思わぬところで未だに顔をのぞかせます。バイクや車のナンバープレートはその恒例です。

 ちなみに、「台灣省」のナンバープレートは、台北でも頻繁(ひんぱん)に見かけます。でも、いずれなくなる時が来るでしょう。

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2007年7月28日 (土)

中華民國と台湾 -小学校のモニュメント編-

Dscf0021_1   台北日本人学校の近くに、「天母國民小学校」という小学校があります。天母國小の正門脇には、右のモニュメントがあります。

 このモニュメントをよく見てください。男の子が地球の上に乗っていますね。では、もう少しよーく見てください。気がつきましたか?

 自分の国である「台湾」と大陸の「中華人民共和国」が同じ黄色になっていますね。今の時代、まだこんなモニュメントがあるのです。

 このブログでも何度も書きましたが、台湾の正式国名は「中華民國」です。中国共産党との戦いに負けた国民党=中華民國が大陸から台湾に逃げのび、築いた国です。ですから当初、台湾で台北臨時政府を開いた蒋介石は、「中国は1つしかない! 自分達(中華民國:国民党)が本当の中国だ!!」というような意味のことを言っていました。

 中華民國政府のもとで行われた教育も長い間、当然そうような考え方で行われました。上のモニュメントはそうした考えの1つの表れです。

 しかし、現実はちがいます。今や中華人民共和国と中華民國は、明確に異なる国です。昨日のブログで書いたように、現在の陳総統は、国連に「中華民國」ではなく「台湾」という名前で加盟申請したくらいですから。

 現在の台湾には、まだこのような「過去の中華民國の思い」の跡が至るところに残っています。

*写真は、台北日本人学校のかつての同僚H先生が写したものです。

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2007年7月27日 (金)

台湾に冷たい国連

 「国連」って知っていますか? 知っている人は「国連」についてどんなイメージをもっていますか?

 国連とは国際連合の略です。みなさんが学校で行っているユニセフ募金のユニセフなどは国連の1つの機関です。ユニセフなどと聞くと、国連って世界中のすべての国や人に優しいって感じがしますよね。

 でも、台湾には冷たいんです。

 現在、台湾は国連に加盟していません。それで今月19日(木)、陳水扁総統が「台湾名義での国連加盟」を求める書簡を、潘基文国連事務総長あてに送りました。ところが23日(月)、国連はこの申請書を受理せず、返却しました。中身を検討することなく、門前払いしたのです。

 ちょっとひどい話ですよね。

 国連をはじめ世界の国々は、「一つの中国」論という見方をしています。大陸の中華人民共和国が中国であり、台湾にある中華民國は中国ではない。中国は一つだけだ。台湾は中華人民共和国の一部に過ぎない。とまあ、こんな考えです。ですから、台湾が国連に入ろうとすると、「1つの独立した国じゃないんだから」というわけで、相手にしてもらえないのです。

 ちょっとひどい話ですよね。

 でも、今回興味深いのは、現在中華民國の総統である陳水扁氏は、「中華民國」としてではなく「台湾」として申請したのです。今、台湾に住んでいる大多数の人々は、自分は中国人ではなく、台湾人だという意識をもっています。陳水扁総統は、そうした国民を背景に申請したのです。それなのに、国連は非情にも今回もまたバッサリと台湾を見捨てました。

 ちょっとひどい話ですよね。

 台湾の人々はこのような国連についてどんなことを考えているのでしょうか。【参考:本ブログ「中華民國」という名の台湾 -教科書にない台湾 Part3-」http://omoshiro-taiwan.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_1ce0.html

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2007年6月16日 (土)

総統と大統領と総理大臣

小学3年生の「台湾 不思議・発見!」シリーズ No.31】

 李登輝前総統の話を3回連続で書きました。台湾はもとより日本、中国などにも李登輝氏の言動は大きな影響を与えます。現代の偉大なる政治家の一人です。

 さて、今まで何気なく「前総統」と言ってきましたが、「総統」ってあまり聞きませんよね。3年生の子は、こんなことを書きました。

弥/9  えらい人  〈3-2 Y.M H16年度〉

 日本では、えらい人の事を、そうりだいじんと言います。台湾ではそうとうと、言います。
 チンそうとうが、仕事をしている所がそうとうふです。
 ぼくは、そうとうの方がそうりだいじんより言いやすいと思います。アメリカでは大とうりょうです。いろんなえらい人のさい後につける名前がありますね。

 ちなみに、中国は「主席」、イギリスやドイツは日本と同じ「首相(総理大臣)」、フランスは「大統領」も「首相」もいます。Y君のいうように、いろんな呼び名がありますね。

 呼び名が違うということは、政治形態も国によって異なるということです。調べてみるとおもしろいですね。

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2007年6月11日 (月)

李登輝前総統と靖国神社

 靖国神社といえば、総理大臣の参拝の良し悪しがマスコミでよく取り上げられます。みなさんの中にも、知っている人はいるでしょう。その靖国神社は、ごく簡単にいえば、日本を守るために戦争で戦い、死んでしまった者たちを祀ってある施設です。

200706071yasukuni1  先の大戦で、日本は近隣の国々に被害を与えました。そのため、中国や韓国は「我々に被害を与えた戦争犯罪人が祀ってある靖国神社に、総理大臣がお参りに行くとは何事か!」と声高に言い、総理大臣の靖国参拝の動きがあれば、阻止しようと神経を尖らせています。そうした靖国神社へ、なんと韓国同様、日本の植民地であった台湾の前総統が、7日(木)参拝に行ったのです。

 参拝するにあたり、李登輝氏は次のように言っています。

 靖国神社に参ります。62年間も会ったことのない私の兄を靖国神社で合祀し、遺霊を守ってくれ、私は感謝の意を表してきます。これは個人的な私の立場であって、政治的にも歴史的にも(関連づけて)考えないでください。これは私の望みです。
 私と兄は、2人兄弟で仲がよかった。その兄と62年前に(台湾南部の)高雄で別れて以来、私のうちには兄の遺髪もなければ、遺骨もないし、遺灰もありません。位牌は靖国神社にのみ残されています。それを私が家族のひとりとして訪問するということは、私は兄に対する尊敬の念を示すためにもやらなければなりません。
 ……略……私が60年ぶりに靖国神社に参りまして、頭を下げて遺霊を祀ってくるということは、私たちとしては当然のことと思います。全く個人的な家庭の事情であります。……略……  【2007.6.8付「産経新聞」より】

 李登輝氏は22歳まで日本人でした。それは台湾が日本の植民地であり、日本は台湾人も日本人としたからです。そのため、李登輝氏は「岩里政男」という日本名でした。2つ上の兄・李登欽は「岩里武則」と名乗り、日本軍人として出征し、フィリピンで戦死したのです。

 それにしても、日本の政治家より堂々と自分の意見を述べていると思いませんか? 9日(土)の離日会見では、「靖国問題は中韓が作ったもの」として、こんなことを言っています。

 ……略……日本の政治はあまりにも弱かった。外国政府に批判される理由はない。自分の国のために亡くなった若い人を祀るのは当たり前だ。……略……【2007.6.10付「産経新聞」より】

 前回のブログで、「日本人より日本人」と題した理由をわかってもらえたでしょうか。

 最後に、このことも付け加えておきましょう。8日(金)には、李登輝氏は栃木県の日光東照宮と日光二荒山神社に行っています。そして、日光のこの2社1寺を例に挙げ、「日本の社会は個人の思想を尊重してくれる素晴らしい国です」と話したそうです。【参考:2007.6.9付「産経新聞」】

 靖国神社、東照宮、二荒山神社、輪王寺……神社、寺とさまざまな所を回った李登輝氏ですが、李登輝氏は神道、仏教など形にはこだわっていません。こだわっているのは、その心です。「信仰する心」「伝統を重んじる心」「感謝する心」などでしょう。だから靖国神社へも素直な心で参拝できるのです。その証拠に、驚くなかれ!実は李登輝氏自身はキリスト教を信仰しているのです。そう、李登輝氏はご夫婦そろって敬虔なクリスチャンなのです。

 李登輝氏の今回の言動で、靖国問題の見方も少しは広く、そして深くなったのではないでしょうか。【写真は「日本李登輝友の会(http://www.ritouki.jp/)」HPより転載】

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2007年6月10日 (日)

日本人より日本人 -李登輝前総統-

 李登輝前総統が、昨日9日(土)、芭蕉の「奥の細道」をたどる旅を終えて帰台しました。

 今回の日本への旅を追ってみて改めて、李登輝氏は日本人より日本人らしい方だ、と再認識しました。いや、もう少し正確にいうと、昔の日本人のよさを身につけた方なのだ、と改めて感じた次第です。

 幕末から明治時代の日本人に関する本を読むと、西欧に行っても堂々としていたと書かれているものが数多くあります。この頃の日本人は武士道精神が体に染み付き、満足に言葉がわからない国に言っても、自分を卑下(ひげ)することなく、堂々としていたのでしょう。……そうです。武士道精神です。そんな古き良き日本人の面影が、李登輝氏の言動に見てとれました。

5106m0qs52l_aa240_1 武士道精神といえば、李登輝氏の著書に『「武士道」解題』という本があります。1万円札でお馴染みの新渡戸稲造の著書『武士道』を解説している本です。この本で李登輝氏は、私たち日本人に「伝統的価値観の尊さ」を説いています。近年、日本人はこの「伝統的価値観の尊さ」を忘れ、へなちょこになってしまいました。李登輝氏は、そんなへなちょこ日本人に喝を入れてくださっているのです。考えてみれば、今回の旅・「奥の細道」ツアーは正に「伝統的価値観の尊さ」を私たちに見せてくれていますよね。

 そして、靖国神社への参拝です。 これについては、また明日お話しましょう。

 

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2007年6月 3日 (日)

李登輝前総統がやってきた

200706011_1  日本では内閣総理大臣(首相)。アメリカでは大統領。こうした国の行政トップを、台湾では「総統」と言います。現在の台湾の総統は「陳水扁」氏です。この陳水扁氏の前の総統が、「李登輝」という人でした。

 李登輝氏は1923年生まれの84歳。台湾生まれの台湾育ちで、台湾出身初の台湾総統になった方です。台湾は戦前、日本の植民地でした。【参考:本ブログ「台湾『2.28事件』60周年」http://omoshiro-taiwan.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/22860_d43a.html】そのため、「自分は22歳(1945年)まで日本人であった」とおっしゃるほど、日本語が達者です。達者どころか、当時は日本人として京都帝国大学(現在の京都大学)にも入り、学徒出陣で戦争にまで参加しています。そして、なんと今でも台湾人の奥様とは日本語で話をしているとか・・・。

 こうした李登輝氏は、言うまでもなく親日家です。日本を愛しています。世界広しと言えども、日本語を流暢に話し、日本語でモノを考える国の代表者(政治家)はいません。もう少し言うなら、日本の「武士道」を愛し、日本文化を愛している方でもあるのです。

 200705311 今回、日本に来日したのは、ななんと江戸時代の人物、松尾芭蕉が歩いた『奥の細道』をたどってみたいというものでした。この夢は以前から語っていましたが、今回(5月30日~)の来日でようやく実現したのです。日本人より日本人って感じですよね。

 5月31日には江東区芭蕉記念館へ立ち寄ったそうです。ここで一句。

 深川に 芭蕉を慕ひ来 夏の夢   李登輝

 うーん。俳句まで作るとは、本当に驚きました。この深川から旅は始まり、昨日6月2日は宮城県入りし、瑞巌寺や松島を観光したようです。

200706023_1  松島や 光と影の 眩しかり   李登輝

 松島や ロマンささやく 夏の海   曾文恵(奥様です)

 そして今日3日は山形県の山寺へ行ったとのことです。

 李登輝氏は台湾の民主化を大きく進めた政治家です。李登輝氏が総統になった後、「台湾人は中国人ではなく、台湾人だ」という意識が国民の間に浸透して行きました。今は現役を引退していますが、台湾の政治への影響力は未だ大きなものがあります。

200706032  農業経済学者でもある李登輝氏。その知的なお話は、日本人である私たちを勇気づけてくれます。台湾在住時代、私は李登輝氏に2度ほど直接お会いする機会がありました。一度は直接質問もできました。ものすごく感激しました。

 李登輝氏の来日。これを機会に李氏を通して、日本のよさを見つめ直したいものです。

【写真はすべて「日本李登輝友の会」より転載http://www.ritouki.jp/

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2007年5月30日 (水)

「中華民國」という名の台湾 -教科書にない台湾 Part3-

 「台湾の正式な国名は何ですか?」

 こう問われて正解を言える人は、今、日本人の中でどのくらいいるでしょうか。子どもはもちろんですが、大人でも知らない人が多いような気がします。台湾の正式な国名は「中華民國」です。  

Img_1391  これが、中華民國の国旗です。台湾にいると、あちこちでこの国旗を目にします。日本の国旗は「日の丸」と言いますが、中華民國の国旗は「青天白日滿地紅旗(せいてんはくじつまんちこうき)」と言います。

 それにしても不思議に思いませんか? いくら日本と国交がないとはいえ、日本の教科書にこの国旗が載っていないとは! 同じく国交がない国=北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)はしっかり国旗付で、日本の教科書に載っているというのに。【参考:本ブログ「国交がない国 -教科書にない台湾 Part2-http://omoshiro-taiwan.cocolog-nifty.com/blog/cat4475269/index.html

 これには、当然ながら理由があります。

 大陸の大きな“中国”は正式名を「中華人民共和国」と言います。1949年に建国されました。その中華人民共和国が「台湾は中華人民共和国の領土の一部だ! 中国は1つ。『中華民國』なんて国はないのだ」と言っているからなのです。日本は現在、大陸の“中国”と国交を結んでいますね。それで、この主張を受け入れているのです。だから、日本の国の教科書も台湾を大陸の中華人民共和国と同じ色にして、中華民國の国旗を出さないのです。

 なんかおかしな話ですよね。でも、中華民國も同じことをその昔は言っていたのです。「中華民國が“中国”の正式な国だ。今は台北に政府を置いて台湾にいるけれど、いずれは大陸に戻るぞ。あくまでも中国は1つ。あの広大な大陸は本来『中華民國』のものだ」。とまあ、こんな調子だったのです。

 これまたおかしな話ですよね。現実には、大陸に中華人民共和国、台湾に中華民國という体制の異なる2つの国があります。しかし、お互いにそれぞれが自分たちを正当な“中国”だ、中国は1つだ、と主張していたのです。

 では、なぜこんなことになったのか、もう少しお話しましょう。中国は長い間、皇帝が治める国でした。それが1911年、辛亥革命という革命で清王朝が滅んだのです。そして翌1912年、中華民國という国ができました。南京には臨時政府が置かれました(のちに首都)。1919年には中国国民党という政党ができ、中華民國を支えるようになりました。しかし、当時の中国国内は不安定で争いが絶えませんでした。そうした中、日本との戦争が始まります。1945年、結局日本は連合国に負けました。

 ここからがまたたいへんなのです。中国国民党と中国共産党の間で、一時期中断していた争いが再開されのです。これは国共内戦と言います。この内戦で、国民党は次第に勢力が弱まりました。反対に力をつけてきたのが共産党です。1949年、ついに国民党は共産党に大陸を追われ、台湾に逃げ込みました。

 というわけで、国民党が支えた中華民國が台湾の地で国をつくることになったのです。長くなりましたが、以上が台湾が「中華民國」と呼ばれる由縁です。

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2007年4月22日 (日)

国交がない国 -教科書にない台湾 Part2-

 国交がない国―。こう聞くと、みなさんはどこの国を思い浮かべますか? 新聞やニュースをよく見ている人は、「国交正常化交渉」などという言葉とともに「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)」を思い受かべるかもしれませんね。

 でも、驚くなかれ。台湾もその1つなのです。日本と国交がないのです。そればかりではありません。日本政府は、台湾を1つの独立国として認めていないのです。えーっ! ですよね。だから、教科書に台湾は載っていないのです。

 実は、1972年まで日本と台湾は国交がありました。正確に言うと、日本と中華民國との間に国交があったのです。台湾という国の正式名称は「中華民國」です。その中華民国と国交があったわけです。

 それが1972年に日本と中華人民共和国との間で、新たに国交が結ばれると、それまで結ばれていた中華民国との国交が破棄されたのです。それは、大陸にある中華人民共和国も台湾にある中華民国も、「自分達が本当の唯一の中国国家だ! 中国は1つしかない! だから国交を結ぶのは我々だけでいい!」と主張していたからなのです。それで、中華人民共和国と国交を結んだ日本は、台湾にある中華民國との国交を断絶したのです。

 実は、これは日本だけではありません。多くの国がそうしました。そのため、現在も台湾と国交を結んでいる国はごくわずかです。世界でたった25ヵ国しかありません。ちょっとかわいそうですよね。

 でも、おもしろいことに、国交のないと民間レベルではものすごく交流があり、日本と台湾は普通の人は自由に行き来できます。現在、日台間の人的交流はものすごく年間100万人を超えた行き来をしています。

【人的往来者数:2005年】

 ・日本→台湾(訪台者数) 112万人(交通部観光局)

 ・台湾→日本(訪日者数) 131万人(入国管理局)

 すごいことですよね。政治的には「国交断絶」というむずかしい問題がありますが、私たち民間レベルでは、台湾に行ったり台湾の人と交流をもったりして、台湾のよさを広げていきたいですね。それが日本のためにもなるのですから。

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2007年4月21日 (土)

教科書にない台湾 Part1

 これを読んでいるあなたが小学5年生だったら、夏休みが過ぎて社会科の教科書の下巻をもらったら、すぐ見てください。産業学習の後の「国土」のページを。もし、6年生だったら、5年生の時に使っていた社会科の教科書の下巻「国土」のページを見てください。

 「国土」のページには、日本の領土と近隣諸国が国旗つきで載っているはずです。近隣諸国には、ロシア連邦、モンゴル、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国などが紹介されていますね。では、台湾はどうですか? ありますか?

 ないですよね。教科書では国旗が示されていないので、正式な独立国として扱われていないことがわかります。地図上に「台湾」という島があり、そこには「タイペイ(台北)」という都市があるかのように扱われています。それで地図上での台湾の色はというと……、なんと中華人民共和国といっしょなのです。つまり、教科書では台湾は中華人民共和国の一部で、国家としては存在しない、ということになっているのです。

 おかしな話ですが、教科書には「台湾」という国は載っていないのです。実は教科書だけではありません。ほとんどの日本の地図から「台湾」という国は消されているのです。

 だから、昨年度受けもっていた5年生には、こんなことを言われました。「先生、台湾は中国だよねー」。これに対して私は答えました。「いや、中国ではないよ。一部、そういう人もいるけど。これについて話すとちょっとむずかしくなるからなあ。でも、中国・・・中華人民共和国ではないよ」。実は、この私の答えもある立場から言うとまちがいなのです。

 少しむずかしくなるかもしれませんが、台湾が教科書にない理由をしばらく探っていきましょう。

【追記】

 以下は、興味のある方のみ、お読みください。

 教科書は「学習指導要領」というものに基づいて作られています。これには、次のように書かれています。

 ア アの「国土の位置」の指導については、我が国の領土と近隣の諸国を取り上げるものとすること。その際、我が国や諸外国には国旗があることを理解するとともに、それを尊重する態度を育てるよう配慮すること。【小学校学習指導要領 第2章各教科 第2節社会 第2各学年の目標及び内容 〔第5学年〕 3内容の取扱い(6)】

 このため、教科書には近隣諸国の名前と国旗を掲げているのです。しかし、日本政府は台湾(中華民國)を独立国として認めていません。そのため、地図上にも実際にも台湾(中華民國)はあるのに、教科書のような扱いにあるのです。

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2007年3月 3日 (土)

台湾「2.28事件」60周年

Photo_1 台北駅の南に広く大きな公園があります。名前を「2.28和平公園」と言います。その名の通り、平和を祈念した公園です。

 この公園は緑豊かで美しく、野生のリスもいて、よく見かけます。また園内には中華風の建物や池、噴水があり、散歩するにはいいところです。

 公園の中央には、平和祈念のモニュメント(二二八紀念碑)が建っています。 Img_2859_2今から10年ほど前の1996年2月28日に建てられたものです。公園の名も、この日から「二二八和平公園」に変わりました。

 そして公園の南東部に、「228紀念館」があります。ここを訪れると、228和平公園ができた歴史がわかります。

 台湾は1895年(明治28年)~1945年(昭和20年)までのおよそ50年間、日本の植民地でした。日本が台湾を統治していたのです。しかし、日本は戦争で敗れ、植民地・台湾 を手放しました。Img_2861Img_2862_1 

 その後  すぐ、台湾にやってきたのが中国大陸からの「中華民國」でした。戦後、中国大陸(中華民國)から台湾に渡ってきた人々を「外省人(がいしょうじん)」と言います。外省人に対して、元から台湾に住んでいた人々を「本省人(ほんしょうじん)」と言います。外省人たちは本省人たちを差別的に扱い接しました。本省人たちは外省人に対して、日増しに不満をもっていきました。

 そうした中、事件は起こりました。

2.28事件 1947年2月27日、台北市内で外省人(中国大陸籍)官吏が、たばこ売りの台湾人女性を銃床で殴打したことをきっかけに、翌28日から国民党統治に対する抗議行動が台湾全島に拡大した。国民党軍は武力による鎮圧に踏み切り、殺害・処刑された被害者は、その後の政治弾圧を含めて1万8000~2万8000人とされる。【2007.3.1付「産経新聞」】

 台湾全土で中華民國=国民党による弾圧、いや虐殺が行われたのです。裁判官・医師・役人など日本統治下のエリート層が主な標的となり、逮捕・投獄・拷問、そして殺されました。【参考:「二・二八事件」WiKipedia】

 私は25年間(だったかな?)投獄されていた台湾人のKさんに、直接お話をうかがったことがあります。それはひどい話でした。60年たった今も、この事件は終わっていないのです。

 60周年の今年2月28日。台湾のテレビニュースでは特集を組み、「二二八事件」について報道していたようです。Kさんなど生きている方のインタビューも盛んにされていたようです。

 2月28日。台湾では「228和平紀念日」として休日です。でも、こんな重い歴史があるのです。台湾について語る時、避けて通ることのできない歴史です。

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2006年11月 4日 (土)

阿里山への旅Ⅲ:阿里山の御神木

    そもそもなぜ日本人が標高2000mを超える山に、鉄道を敷いたのでしょうか?

Img_1617Img_1618 阿里山は今も昔もヒノキの原生林が広がっています。それはそれはものすごいヒノキです。樹齢500年、1000年、2000年なんて大きくて太い ヒノキがあるのです。

 日本統治時代の1911年(明治44年)。このヒノキに目をつけた日本人は、伐採したヒノキを山から運ぶために、山岳鉄道を敷いたのです。これが阿里山鉄道の始まりです。それにしても、明治維新後の日本人のがむしゃらな活躍ぶりは、こんなところにも表れているのですね。

Img_1583Img_1590Img_1586_1 1周4㎞ほどの散策コースは、実に気分のいいコースです。森林を歩いていると、「姉潭」「妹潭」という小さな池が現れたり、「永結同心(Forever One Heart)」というハート型の木が現れたり、はたまた「四姉妹」「三兄弟」「象鼻木」「千歳檜」なんていうおもしろいネーミングの大木たちが現れたりします。そして、何と言っても圧巻なのが、巨木群と森林のあちこちに存在する巨木たちです(えーっと、今言った「千歳檜」は樹齢2000年を超える巨木でした)。

Img_1564 ちなみに、私が見た中での阿里山巨木のチャンピオンは左です。このヒノキには「鹿林神木」という名前がつけられています。散策コースではなく、ホテルの人に車で連れて行ってもらった所にありました。標高2350mの山の斜面に、どっしりと立っていました。高さ43m、幹周り20m(直径6.4m)の巨木です。樹齢はなんと約2700年です。

 この木に限らず、巨木には「御神木(ごしんぼく)」と名づけられたものが今も何本かあります。これは、おそらく日本人の影響でしょう。

Img_1624 日本人といえば、日本人が建てた「樹霊塔」という大きな石碑が今もあります。阿里山の木をいっぱい伐採した日本人ですが、一方で木の霊を慰めるこんな碑も建てていたのです。 写真右下にある石碑の案内標示には次のように書いてあります。

 1935年、日本人が阿里山を開発し大量の樹木を伐採した際に、生き物には皆、魂があるとの考えから、この塔を建立し樹木の霊を慰めた。一つ一つの輪が年輪を表している。(一つの輪が500年)、脇に刻まれている跡は伐採の際の鋸の跡。

 1935年(昭和10年)に建てられた石碑ですが、よく考えられていますね。それにしても、「生き物には皆、魂があるとの考え」こそ、日本人です。古代日本人のこうした考えは、現代人のみなさんにも知っておいてもらいたいです。

 この石碑の案内標示は、中国語・英語・日本語の順で3つの言語で書かれています。それだけ日本人旅行者が多いことも、阿里山との関わりが深いこともわかります。

 ところでみなさん! 台湾で日本人本来の考え方に触れられることができるってとっても不思議でおもしろいでしょ。

Img_1633 《追記》散策コース内には「慈雲寺」という寺があります。阿里山開発初期の1919年に「阿里山寺」として建てられました。建てたのは言うまでもなく、日本人です。中には、1918年(大正7年)にタイ国王より贈られた釈迦仏があるそうです。

 これには、おもしろい話があります。当時、日本で一番高い山は富士山ではなくて、台湾の新高山(にいたかやま)でした。それは台湾が日本の植民地で、日本の領土だったからです。この仏像をいただいた大正天皇は、日本最高峰の新高山(にいたかやま)に仏像を安置しようと考えました。しかし、新高山は未開発であったため、阿里山が選ばれ、この寺が建てられたのです。

 というわけで、阿里山には大正天皇が建てたといってもいいお寺があるのです。そうそう、名前が「慈雲寺」に変わったのは、1945年、戦後になってからです。

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2006年10月15日 (日)

台湾にもある「元号」!

 西暦2006年の今年。日本は平成18年です。

 この「平成」というのは元号です。実は台湾にも元号があるのです。2006年の今年、台湾では「民國95年」です。ちゃんと言えば「中華民國95年」です。今、私の手元にある台湾の故宮博物院で買ったカレンダーにはしっかり「中華民國95年」と印刷されています。

 では、なぜ2006年の今年が民國95年なのか。このブログで前回の記事(06/10/10付「台湾の建国記念日=国慶節」)を読んだ人はわかるでしょう。そうです。中華民國ができた1912年を「中華民國元年」として元号がつけられているのです。

 普段はこの元号を意識しませんが、台湾で生活しているとおもしろいところで目にして戸惑うことがありました。例えば、スーパーでの買い物。食べ物の賞味期限を見ると「95-10-16」とか印刷されたシールが貼ってあるんです。最初はすぐに理解できず、「えっ? なんで1995年のお菓子が売ってるんだ?」と驚きました。列車の切符もそうでした。「95.10.15」と印字されてあるので、元号を頭で理解しているものの一瞬考え込んでしまいます。

 台湾に行った時、何か商品(食品がいいですね)を手にとって、日付を見てください。こんなこと知っていても、ほんのちょっとびっくりしますよ。知らない人はすごーくびっくりしますから。

 

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2006年10月10日 (火)

台湾の建国記念日=国慶節

 10月10日は何の日ですか? と問われたら、数年前の日本の小学生は「体育の日!」と元気よく答えが返ってきました。しかし、今はわからない子が増えてきましたね。祝祭日を土日とつなげ、連休が増えるように法律を変えたのがその原因です。でも、これって個人で例えたら、誕生日をずらすようなものですよね。祝祭日の意味がなくなります。はっきり言います。これは全くひどい法律です。きっといずれまた元のように戻るでしょう。

 さて、台湾で「10月10日は何の日ですか?」と問えば、人々はすぐに答えます。「国慶節!」。中にはこう答える人もいます。「双十節!」。これは「十」が2つ並んだ日だから「双十」と言うのです。

 国慶節(双十節) とは、国の誕生日。建国記念日のことです。

 今では大人でも知らない人が多いのですが、台湾の正式な国名は「中華民國」と言います。その中華民国の誕生日が10月10日なのです。例によって、歴史の話をしますので、むずかしいと感じた人は飛ばしてください。

 昔、中国は「清」という国が治めていました。清は満州民族が建てた国です。清朝末期、外国の侵略の手が伸び、国内は混乱していました。そうした1911年10月10日。湖北省武昌で反乱が起こりました。そして翌1912年1月1日。孫文臨時大統領になり、中華民國臨時政府が南京で誕生しました。いわゆる辛亥革命です。【参考文献:各種ホームページ】

 というわけで、中華民國の事の起こりである10月10日が国慶節なったのです。

Dsc00467 この国慶節前になると、町中が国旗だらけになります。写真は、台北日本人学校前の大通り「中山北路(チョンサンペイルー)」です。見ての通り、道路の中央分離帯に3~5m間隔で国旗が立てられます。長く続く道に、途切れることなくずらーっと立てられるので、いったい何本くらいあるのか興味をもちました。でも、もちろん……数えませんでしたけど。

Dsc00502 左の写真は、「東門」という歴史的な建物と国民党本部の建物です。「国民党」というのは台湾の大きな政党の1つです。長い間ずーっと与党でしたが、今は野党です。その国民党はやはり長い間、この建物に本部を置いていましたが、驚いたことに今年(2006年)夏に引っ越しました。

 話が逸れました。見ていただきたいのは、東門の前に飾ってある赤いマークです。これは2年前(2004年)の国慶節の写真ですが、漢字の「十」が2つくっついて「十十」というマークになっています。これが「双十節」のマークです。このマークは台北市政府の建物にもついています。(近々写真つけます)

Dsc00491 そして10月10日当日は、毎年総統府前で盛大な式典が催されます。これまた2年前(2004年)の国慶節の写真ですが、総統府は何本もの国旗や小旗(?)で飾られます。その前で、衛兵や小学生、そしてさまざまな団体がマスゲームをし、パレードをするのです。私は運よく招待券が手に入り、生で見ることができました。たいへん楽しく興味深い式典でした。

 10月10日。台湾では双十節=国慶節。では、日本の国の誕生日2月11日には、毎年どんなことが行われているのでしょうか。調べてみるとおもしろいですね。

【関連ブログ:「ふぉるもさ・だいありい」http://blog.livedoor.jp/maru_tami05/archives/cat_50010112.html

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台湾故事館とレトロブーム

   三連休の中日の8日(日)。新横浜にある「新横浜ラーメン博物館」へ行きました。オープンした当時(1994年)から一度は行ってみたいと思っていたにもかかわらず、なぜか一度も足を運んだことはありませんでした。それで、今回初めて行きました。

 この世界初のフードアミューズメントパークであるラーメン博物館の大きなウリが、昭和33年の町並みです。私自身、実はラーメンよりもこの町並みを見たい、とずっと思っていました。実際行ってみて、あのレトロな雰囲気はやはりいいなあ、と正直思いました。

 もう1つ。レトロな町と言えば、東京・池袋サンシャインシティにある「ナンジャタウン」です。こちらには以前行ったことがあり、初めて入った時は、昭和30年代の日本の風景にかなりワクワクしていました。

Img_5878 ところで、そんなレトロな雰囲気の町並みが台北にもあるのです。その名は「台湾故事館(タイワンクーシーグァン)」。台北駅の真南にある新光摩天楼の隣のビルK-mallの地下2階に、それはあります。オープンしたのは昨年11月。まだできて1年も経っていません。私は今年の旧正月に、そこを訪れました。

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 訪れて大感激! 町並みは今から約40年前の1965年前後の台湾です。実にしっかりできています。それ以前に見ていた池袋の「ナンジャタウン」より大人っぽい雰囲気で、個人的にたいへん好感がもてました。

 台湾は日本に統治された歴史をもっています。そのため、今でも台湾のあちこちに日本の面影を見ることができます。この台湾故事館は、日本統治時代の設定はありません。しかし、台湾が戦後も日本とつながりをもち、日本の影響を受けていたことがよくわかります。写真は館内に展示してある日本製の「オート三輪(ダイハツ・ミゼット)」です。もちろん、本物です。また、当時あった日本語の看板も再現されています。この辺りを歩いていると、台湾というより「古きよき日本」と錯覚してしまいそうです。

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 左は今も台湾のあちこちに残る老街(ラオジエ)の町並みです。この赤い提灯が何ともタイワンチックでいいです。でも、なぜかこんな風景も懐かしく感じられるのです。

 この台湾故事館を造った館長の呉傳治さんは次のように言っています。

 ……ここは観光・文化・芸術・飲食を融合とした博物館といえると思います。1500坪という広大な空間に、台湾の古きよき時代を再現し、消えていく懐かしい町並みや歴史を子供や孫に伝え、未来に残していけたらと思います。観光はもちろんのこと、台湾の文化を知ることもできる空間であり、またこの空間そのものが、ひとつの芸術的な空間だと思っています。外国からこられる方々にも台湾がどのようなところか知る手助けができると思います。【TAIPEI navi HP:http://www.taipeinavi.com/play/play.php?id=26

 確かに、これだけのことを言う呉さんの意気込みが、素直に感じられるテーマパークに仕上がっています。日本でも新たに、こういう歴史テーマパークができないものでしょうか。

 見学終了間際、私は館内の小吃店(シャオツーテェン)で台南名物の1つである担仔麺(タンツーミェン)を食べました。味は、う~ん……忘れました。

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2006年10月 9日 (月)

おもしろい台湾の中秋節

Img_2341 6日(金)は十五夜。お月見でした。みなさんはお月見をしましたか? お団子とススキをお月様にお供えし、お月様を眺める……。なーんてことをする日本の家庭は、今の日本にはほとんどないでしょう。でも、台湾では立派に残っているのです。いや、残っているというより、今も大切な日として扱われています。

 旧暦8月15日。この日は「中秋節」と言います。日本でも「中秋の名月」と言いますね。その「中秋」です。旧暦なので、毎年変わります。今年は10月6日ですが、昨年は9月18日でした。写真は昨年のその日に、台北の我が家の近所から撮影したお月様です。

 大切な日と書きましたが、その証拠に、この日は祭日でお休みです。また、昔から家族団らん・一家団らんの日として扱われ、親類一族が集まる日となっています。そのため、都会に住む人々はこの日故郷に帰ります。ですから、中秋節前後は、鉄道・高速道路・国内線は帰省ラッシュ・Uターンラッシュとなります。この辺りは、日本のお盆と似ていますね。

 日本と違うのは、中秋節は団子ではなく、「月餅(げっぺい)」を食べたり、贈ったりする風習があることです。月餅は丸くて一家団らんを象徴しています。中秋節にぴったりの食べ物です。私も台北日本人学校時代、保護者のお母さん(台湾人)から月餅をいただきました。そのような風習があることも、その方から教えていただき、よい思い出として残っています。

 月餅について歴史的な話をしましょう。むずかしいと思う人は、読まずに飛ばしてください。

 話は、中国の元の時代にさかのぼります。中国をモンゴル人が支配していた時代です。元に反対する一人の兵士が、反乱を起こそうとしました。しかし、連絡手段がありません。そこで、月餅の中に手紙を入れたのです。手紙にはこう書かれていました。「8月15日の夜に決起!」。同時に、うわさを流しました。「中秋節に月餅を食べると、伝染病にかからない」。人々は月餅とを食べ、決起しました。そして、4ヵ月後。元朝は滅びました。次の明の太祖である朱元璋は、そんな月餅を開国の記念品とし、合わせて中秋節を開国記念日としました。【参考文献:各種ホームページ・ブログ】

 なんと月餅が新しい国を創ったという話なのです。おもしろいでしょ。

 ところで、現在の台湾の中秋節といえば、月餅だけではありません。バーベキューです。この日、町中のあちこちで台湾人はバーベキューをします。マンションだらけの台北では、公園でもバーベキュー、路地でもバーベキュー、なんと歩道にくり出してバーベキューをしている人たちも大勢います。当然、焼肉店は大盛況です。確かにバーベキューは一家団らんにぴったりです。が、どうしてこのような風習ができたのかは、よくわかりません。

 最後にもう1つ。中秋節にちなんだ食べ物を紹介しましょう。それは、「ザボン(柚子と書く)」です。「文旦」とも言いますが、日本のものとは種類がちょっと違うようです。昨年は我が家でも、この時期よく食べました。あっさりして、おいしい果物です。昔はザボンの大きな皮を帽子に見立てて、子どもたちは遊んだようです。はたして今の子どもはどうなのでしょう。

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2006年9月 6日 (水)

「台湾桃園国際空港」誕生?!

 9月6日(水)。本日、秋篠宮家の紀子さまが、めでたく男児をご出産されました。

 同じくこの日。台湾の「首都空港」として「台湾桃園国際空港」が誕生しました。この空港は、台北の郊外である桃園県にあります。だから、この名称がつけられたのです。

 しかし、実は、この空港。誕生と書きましたが、ずっと以前からそこにあったのです。くわしく言うと、「首都空港」として使われていた「中正国際空港」の名前を変えただけなのです。ですから、名前以外はなーんにも変わっていません。

 では、なぜ名前を変えたのでしょうか? 疑問をもつ人もいるでしょう。ちょっとむずかしいですが、聞いてください。

 「中正」とは、「蔣介石(蔣中正)」のことです。この「蔣介石」は台湾の初代総統です。そのため、今でも台湾のあちこちに銅像があり、また道や建物などにもその名前がつけられているのです。

 「だったら、そのままで記念でいいじゃん!」なーんて声が聞こえてきそうです。ところがどっこい! そうはいかないのです。問題なのは、蔣介石が独裁者で台湾の多くの人々を苦しめた事実があることなのです。そのため、台湾の人たちの中には蔣介石を嫌っている人も結構います。

 私が知り合ったおじいちゃんは、その昔、蔣介石をはじめとする国民党に、何もしていないのに捕まり、拷問され、緑島という島の牢獄へ二十数年間も閉じ込められていたと言います。

 これはほんの一例ですが、このようなわけで「蔣介石」に関係する名前が、空港だけでなく、いろいろなところで改称されつつあります。現総統である陳水扁氏は、1996年、台北市長時代に、総統府前の大通りを「蔣介石の長寿を祈念する」という意味でつけられた「介寿路」から、台北近辺に住んでいた先住原住民名にちなんで「凱達格蘭(ケタガラン)大道」と変えました。また今年の3月には、総統府を「介寿館」から「総統府」に正式に改名しました。【参考文献:2006年9月6日付産経新聞】

 「台湾桃園国際空港」改称の裏には、こんな歴史があるのです。

 《追記》今日、「台湾桃園国際空港」に降り立った人の話では、機内アナウンスではしっかり「台湾桃園国際空港」と言っていたそうですが、空港に降りてみると以前のままの「中正国際空港」という看板・標示が残っていたそうです。大雑把な台湾らしい???

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