2007年9月 2日 (日)

宜蘭民宿物語4 -日本家屋-

 宜蘭のペンション「尚徳休閒蓮花園」では自転車を貸してくれます。そこで、自転車に乗り、宜蘭の田舎町を走りました。

 のんびりとそれでも1時間近く走ったでしょうか。駅の近くまで行きました。
 その辺りは再開発の真っ最中という感じでした。現在、宜蘭と台北は大きなトンネルでつながり、車でもすぐ行けるようになっています。たぶん、それに合わせ、町並みをきれいに整えていたのでしょう。

 再開発の真っ最中と感じたのは、町の至るところに歴史的建築物が残されており、中にはきれいに修復されているものがあったからです。また、歴史的なものに対してはきちんと説明プレートがあったからです。

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 これ、どう見たって日本の家ですよね。それもそのはず、日本統治時代の日本人の建物なのです。それを新しくリフォームし内装を変えて、今ではオシャレな喫茶店として使っています。私が中に入ってお茶を飲んだことは言うまでもありません。

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 この一画の歩道にあった宜蘭の地図です。「民國54年」というのはいいのですが、「大正3年」というのには、正直驚きました。完全に「日本」ですよね。台湾が日本であったことをはっきりと示しています。

 この近辺を散策すると、開発中のオシャレな日本式建築物や当時のままの日本家屋がしっかりと残っています。

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 「こんな瓦の日本家屋は、今の日本の方が残っていないよなあ。」
 この建物は、私が子どもの頃に住んでいた家に似ていたので、そう思いました。ちなみにレンガやコンクリートの塀は日本っぽくないですけどね。

 このように、台湾には今でも古き日本の面影が残っているのです。
 宜蘭の自転車散策での大きな収穫でした。

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2007年8月26日 (日)

日本語を話すお年寄り4 〈宜蘭・ペンションの巻〉

 台湾生活2年目の旧正月(2006年1~2月)。妻と二人で台湾の田舎のペンションに泊まることにしました。

 台湾の東側はあまり行ったことがなかったので、台北にもほど近い宜蘭(イーラン)に行くことにしました。

 台湾にもペンション(民宿)はたくさんあります。日本と同じように書店に行けば、ペンション(民宿)の雑誌もたくさん置いてあります。ペンション探しは、妻に任せました。彼女はインターネットでよさそうなペンションをいくつかピックアップしました。

 そして電話をかけました。うまくない中国語です。相手になかなか通じません。と、あるペンションで「等一下(ちょっと待って)」と中国語で言われ、しばらく待たされました。電話口に出てきたのは日本語の話せるおじいちゃんでした。

 おじいちゃんは「ぜひ、うちに来てほしい」「泊まってほしい」と妻に伝えました。その晩、その話を聞き、私もその宿でもいいかなあ、くらいで結論を出しませんでした。すると、翌日だったでしょうか。な、なんと! そのおじいちゃんから我が家に「宿は決めましたか?」と電話がかかってきました。驚きです。

 結局、そのペンションにしたのですが、大正解でした。日本語のわかるそのおじいちゃんにいろいろと宜蘭についての話を聞けましたし、ペンションではいろいろと親切にしていただきました。

 ペンションを仕切っている息子さんが「蔡」という苗字でしたから、おじいちゃんも「蔡さん」という方だと思います。宜蘭という初めての地で、日本語世代のおじいちゃんと話をし、親切にされたことは今でもいい思い出として残っています。

《追記》
 このペンションで日本語を話せるのはトライリンガルのおじいちゃんだけでした。息子さんは夫婦は話せませんでした。おじいちゃんがずっと通訳代わりで、私たちに接してくれました。
 帰り、おじいちゃんは息子さんに頼んで、私たちが行く予定だった礁溪まで車で送ってくれました。駅前での別れ際、おじいちゃんが涙ぐんでいた様子が忘れられません。

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2007年8月19日 (日)

日本語を話すお年寄り3 〈トライリンガルの巻〉

 日本語と英語など2種類の言語を話す人のことを「バイリンガル」と言います。日本語世代のお年寄りは、日本語と中国語(北京語)の「バイリンガル」です。と言いたいところですが、実はちがいます。

 日本語世代の人たちは、子どもの頃や若い頃は学校で日本語を学び、戦後は大陸からやってきた中華民国政府により中国語(北京語)を教えられました。そして、それらのほとんどの者が家では台湾語を話して生活しているのです。バイリンガルどころではありません。日本語、中国語(北京語)、台湾語という3種類の言語を話す「トライリンガル」なのです。恐るべし!

 少し整理してみましょう。

 戦前の日本統治時代には学校で日本語を学び、戦後は中華民国政府のもと学校で中国語(北京語)を学びました。そして家では昔からの台湾語を話していたというわけです。こうして、日本語世代と言われる人たちは、必然的にトライリンガルになったのです。

 歴史の大きな流れが、トライリンガルな日本語世代を生んだといえるでしょう。

 興味深いのは、日本語世代の多く人が、多感な子どもの頃に日本語を覚えたためか、日本に対しての思い入れや郷愁の念が非常に強いことです。中には日本人より日本人らしい台湾人の方もいるほどです。

 こうしたことも今の日本人に知ってほしいことの1つです。

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2007年8月18日 (土)

日本語を話すお年寄り2 〈朝市の巻〉

 3年生の理科の学習に「モンシロチョウ(昆虫)の観察」があります。日本とちがい台北では3月にもうモンシロチョウが飛んでいます。そこで、私たち台北日本人学校の3年生担任は、学習単元を入れ替えて4月にこの学習することにしました。

 ところで、みなさんご存知のように、モンシロチョウの幼虫に必要な植物はキャベツです。4月に学習できたのは、実は前年の3年生たちがキャベツをしっかり育ててくれたからです。なのに、この年、私たちは秋にキャベツを育てることをすっかり忘れていました。

 冬になり、担任たちはキャベツの種、苗を手に入れるために、東奔西走(とうほんせいそう)しました。私は、夜市で有名な士林に種屋さんがあると聞いて、朝、行ってみました。士林夜市はおもしろいところで、朝になると同じような場所で朝市が始まるのです。

 朝市で野菜や果物は売っていますが、なかなか種や苗は売っていません。と、しばらく歩くと、種屋さんを見つけました。古いけれど、しっかりとしたお店です。
 「早安! 有没有高麗菜的種子?(おはようございます。キャベツの種ありますか?」
 たどたどしい中国語で聞いてみました。すると、お店の人は、この日本人は何を言っているのだろうという顔をし、店の奥に向かって人を呼びました。
 現れたのは、結構お年を召したおじいさんでした。

 おじいさんはいきなり日本語で言いました。
 「何を買いに来たのですか?」
 店の内外で中国語が飛び交う中、おじいさんと私はしっかり日本語で話をしました。キャベツの種は今はもうない。この時期だったら苗から育てた方がいいとも教えられました。ただし、自分の店には今はない、とのことでした。
 「小学校の時、日本語を習っただけでだいぶ忘れちゃって、今はへただけど・・・」
 と言いつつも、しっかり話すおじいさんに、私は感激してしまいました。

 このように、日本語世代のお年寄りは身近なところにたくさんいらっしゃいます。ですが高齢です。年々その人数は減っています。台湾で、こういう出逢いができるのも、あとわずかでしょう。でも、そうなると、本当に寂しくなります。

 一人でも多くの日本人に、日本を愛する日本語世代の人たちのことを知ってほしいと思っています。

《追記》
 今日で本ブログは開設丸1周年となりました。読んでくださっている方々に感謝しつつ、これからも日本と結びつきの深い台湾のことについて書き綴っていきます。よろしくお願い申し上げます。

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2007年8月15日 (水)

日本語を話すお年寄り

 今日は62回目の終戦記念日(敗戦記念日)です。太平洋戦争(大東亜戦争、第2次世界大戦)が終わって、今日で62年経ったということです。

 この戦争が終わる62年前までは、台湾は日本の植民地でした。「植民地」というと今の私たちのイメージからすると、ひどそうな感じを受けます。しかし、当時を生きていた台湾人の方々はこの「日本統治時代」をあまり悪く言いません。それどころか、驚くなかれ、当時まで日本人であったこと、日本の教育をしっかりと受けたことを誇りに思っている人も少なくありません。

 当時、台湾人への差別はそれなりにありました。しかし、それ以上に台湾人を日本人と同じようにしっかり教育したという事実の方が、彼らには印象深く残っているのです。そして、今でも日本を好きだ、という人が多くいます。

 日本の教育を受けた世代の人達を「日本語世代」と言います。日本語世代のお年寄り達は現在少なくとも70歳を軽く超えています。彼らは今でも上手な日本語を話します。特に80歳を超えた方々は、今でも日本語の本を読み、日本語で物事を考えている人もいます。そうした代表的な人が、李登輝前総統です。
【参考:07.6.3付本ブログhttp://omoshiro-taiwan.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_15e3.html

 台湾で、お年寄りに日本語で声をかけられたり、日本語で親切にされたりしたという人は結構います。かくいう私もその一人です。そうしたエピソードを次回から少し綴ってみましょう。

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2007年8月 5日 (日)

台湾写真展2007 in 八王子

Taiwansyasinnten1_3Taiwansyasinntennura1_2 このチラシは、東京・八王子の駅ビル「そごう」デパートで開かれた「台湾写真展2007」のものです。写真展は今日で終了しました。

 私も顔をのぞかせましたが、お世辞にもあまり面白いとはいえない写真展でした。

 でも、今回、この写真展を通して新しいことを知りました。私の住む東京都八王子市は、昨年11月市制90周年を機に、なんと台湾の高雄市と友好交流協定を結んだのです。なぜ高雄なのか? はっきりとした理由はまだ調べていないのでわかりません。おそらく八王子で有名な山・高尾山と台湾第2の都市・高雄をかけたのかも知れませんね。

 台湾について関心のある住民の私でさえ、高雄市と友好交流協定を結んだことを知りませんでした。もしかしたら、みなさんの町や市でも台湾のある町と姉妹都市などになっているかもしれませんね。

 それにしても、昨日、一昨日と高雄中正小学校の子どもたちによる民族舞踊が披露されたとのことです。うーん、こっちの方が写真展より見たかったなあ。

【参考】八王子市HP http://www.city.hachioji.tokyo.jp/profile/kokusai/011742.html

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2007年6月11日 (月)

李登輝前総統と靖国神社

 靖国神社といえば、総理大臣の参拝の良し悪しがマスコミでよく取り上げられます。みなさんの中にも、知っている人はいるでしょう。その靖国神社は、ごく簡単にいえば、日本を守るために戦争で戦い、死んでしまった者たちを祀ってある施設です。

200706071yasukuni1  先の大戦で、日本は近隣の国々に被害を与えました。そのため、中国や韓国は「我々に被害を与えた戦争犯罪人が祀ってある靖国神社に、総理大臣がお参りに行くとは何事か!」と声高に言い、総理大臣の靖国参拝の動きがあれば、阻止しようと神経を尖らせています。そうした靖国神社へ、なんと韓国同様、日本の植民地であった台湾の前総統が、7日(木)参拝に行ったのです。

 参拝するにあたり、李登輝氏は次のように言っています。

 靖国神社に参ります。62年間も会ったことのない私の兄を靖国神社で合祀し、遺霊を守ってくれ、私は感謝の意を表してきます。これは個人的な私の立場であって、政治的にも歴史的にも(関連づけて)考えないでください。これは私の望みです。
 私と兄は、2人兄弟で仲がよかった。その兄と62年前に(台湾南部の)高雄で別れて以来、私のうちには兄の遺髪もなければ、遺骨もないし、遺灰もありません。位牌は靖国神社にのみ残されています。それを私が家族のひとりとして訪問するということは、私は兄に対する尊敬の念を示すためにもやらなければなりません。
 ……略……私が60年ぶりに靖国神社に参りまして、頭を下げて遺霊を祀ってくるということは、私たちとしては当然のことと思います。全く個人的な家庭の事情であります。……略……  【2007.6.8付「産経新聞」より】

 李登輝氏は22歳まで日本人でした。それは台湾が日本の植民地であり、日本は台湾人も日本人としたからです。そのため、李登輝氏は「岩里政男」という日本名でした。2つ上の兄・李登欽は「岩里武則」と名乗り、日本軍人として出征し、フィリピンで戦死したのです。

 それにしても、日本の政治家より堂々と自分の意見を述べていると思いませんか? 9日(土)の離日会見では、「靖国問題は中韓が作ったもの」として、こんなことを言っています。

 ……略……日本の政治はあまりにも弱かった。外国政府に批判される理由はない。自分の国のために亡くなった若い人を祀るのは当たり前だ。……略……【2007.6.10付「産経新聞」より】

 前回のブログで、「日本人より日本人」と題した理由をわかってもらえたでしょうか。

 最後に、このことも付け加えておきましょう。8日(金)には、李登輝氏は栃木県の日光東照宮と日光二荒山神社に行っています。そして、日光のこの2社1寺を例に挙げ、「日本の社会は個人の思想を尊重してくれる素晴らしい国です」と話したそうです。【参考:2007.6.9付「産経新聞」】

 靖国神社、東照宮、二荒山神社、輪王寺……神社、寺とさまざまな所を回った李登輝氏ですが、李登輝氏は神道、仏教など形にはこだわっていません。こだわっているのは、その心です。「信仰する心」「伝統を重んじる心」「感謝する心」などでしょう。だから靖国神社へも素直な心で参拝できるのです。その証拠に、驚くなかれ!実は李登輝氏自身はキリスト教を信仰しているのです。そう、李登輝氏はご夫婦そろって敬虔なクリスチャンなのです。

 李登輝氏の今回の言動で、靖国問題の見方も少しは広く、そして深くなったのではないでしょうか。【写真は「日本李登輝友の会(http://www.ritouki.jp/)」HPより転載】

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2007年6月10日 (日)

日本人より日本人 -李登輝前総統-

 李登輝前総統が、昨日9日(土)、芭蕉の「奥の細道」をたどる旅を終えて帰台しました。

 今回の日本への旅を追ってみて改めて、李登輝氏は日本人より日本人らしい方だ、と再認識しました。いや、もう少し正確にいうと、昔の日本人のよさを身につけた方なのだ、と改めて感じた次第です。

 幕末から明治時代の日本人に関する本を読むと、西欧に行っても堂々としていたと書かれているものが数多くあります。この頃の日本人は武士道精神が体に染み付き、満足に言葉がわからない国に言っても、自分を卑下(ひげ)することなく、堂々としていたのでしょう。……そうです。武士道精神です。そんな古き良き日本人の面影が、李登輝氏の言動に見てとれました。

5106m0qs52l_aa240_1 武士道精神といえば、李登輝氏の著書に『「武士道」解題』という本があります。1万円札でお馴染みの新渡戸稲造の著書『武士道』を解説している本です。この本で李登輝氏は、私たち日本人に「伝統的価値観の尊さ」を説いています。近年、日本人はこの「伝統的価値観の尊さ」を忘れ、へなちょこになってしまいました。李登輝氏は、そんなへなちょこ日本人に喝を入れてくださっているのです。考えてみれば、今回の旅・「奥の細道」ツアーは正に「伝統的価値観の尊さ」を私たちに見せてくれていますよね。

 そして、靖国神社への参拝です。 これについては、また明日お話しましょう。

 

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2007年6月 3日 (日)

李登輝前総統がやってきた

200706011_1  日本では内閣総理大臣(首相)。アメリカでは大統領。こうした国の行政トップを、台湾では「総統」と言います。現在の台湾の総統は「陳水扁」氏です。この陳水扁氏の前の総統が、「李登輝」という人でした。

 李登輝氏は1923年生まれの84歳。台湾生まれの台湾育ちで、台湾出身初の台湾総統になった方です。台湾は戦前、日本の植民地でした。【参考:本ブログ「台湾『2.28事件』60周年」http://omoshiro-taiwan.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/22860_d43a.html】そのため、「自分は22歳(1945年)まで日本人であった」とおっしゃるほど、日本語が達者です。達者どころか、当時は日本人として京都帝国大学(現在の京都大学)にも入り、学徒出陣で戦争にまで参加しています。そして、なんと今でも台湾人の奥様とは日本語で話をしているとか・・・。

 こうした李登輝氏は、言うまでもなく親日家です。日本を愛しています。世界広しと言えども、日本語を流暢に話し、日本語でモノを考える国の代表者(政治家)はいません。もう少し言うなら、日本の「武士道」を愛し、日本文化を愛している方でもあるのです。

 200705311 今回、日本に来日したのは、ななんと江戸時代の人物、松尾芭蕉が歩いた『奥の細道』をたどってみたいというものでした。この夢は以前から語っていましたが、今回(5月30日~)の来日でようやく実現したのです。日本人より日本人って感じですよね。

 5月31日には江東区芭蕉記念館へ立ち寄ったそうです。ここで一句。

 深川に 芭蕉を慕ひ来 夏の夢   李登輝

 うーん。俳句まで作るとは、本当に驚きました。この深川から旅は始まり、昨日6月2日は宮城県入りし、瑞巌寺や松島を観光したようです。

200706023_1  松島や 光と影の 眩しかり   李登輝

 松島や ロマンささやく 夏の海   曾文恵(奥様です)

 そして今日3日は山形県の山寺へ行ったとのことです。

 李登輝氏は台湾の民主化を大きく進めた政治家です。李登輝氏が総統になった後、「台湾人は中国人ではなく、台湾人だ」という意識が国民の間に浸透して行きました。今は現役を引退していますが、台湾の政治への影響力は未だ大きなものがあります。

200706032  農業経済学者でもある李登輝氏。その知的なお話は、日本人である私たちを勇気づけてくれます。台湾在住時代、私は李登輝氏に2度ほど直接お会いする機会がありました。一度は直接質問もできました。ものすごく感激しました。

 李登輝氏の来日。これを機会に李氏を通して、日本のよさを見つめ直したいものです。

【写真はすべて「日本李登輝友の会」より転載http://www.ritouki.jp/

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2007年4月30日 (月)

続・世界に誇る台湾の自転車

 世界最大規模の自転車メーカー「ジャイアント」。その自転車を台湾で買って持ってきたという話を前回しました。Img_1139

 当時、私が台北でジャイアントの自転車を乗っていると、同僚の先生に言われました。「ジャイアントの自転車は、有名な『シマノ』のギアを使っている。先生のもそうでしょう。・・・ほら、やっぱりそうだ!」。言われて初めて私はギアを見ました。確かに「シマノ(SHIMANO)」と書いてあります。

 「シマノ」は日本の自転車パーツメーカーです。私はこの時まで全く知らなかったのですが、今や「シマノ」は、自転車パーツでは世界の80%を占めるほどだそうです。世界最高峰の自転車レース「ツール・ド・フランス」で「シマノ」の自転車パーツを取り入れた自転車が4連覇を達成したり、アトランタオリンピックでは1~12位までを独占したり、と世界が認める自転車パーツメーカーなのです。

Img_1127 これまた興味深いことに、その始まりは大阪・堺の小さな町工場だったそうです。私の学校では、昨年度5年生が「技あり日本!-世界に羽ばたけモノづくり日本-」と題して学習発表会を行いました。自転車パーツメーカー「シマノ」は、この中で紹介しませんでしたが、モノづくり日本として誇れる企業ですよね。

 さて、今回は「シマノ」という日本企業の紹介になってしまいました。けれど、この世界に誇れる日本企業と世界に誇れる台湾企業が、1台の自転車の中に共存しているって、すごく素敵ではないですか。というわけで、日台共存の一例として、我が自転車を紹介しました。

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2007年4月 5日 (木)

台湾のおもしろ書きまつがい Part4

 日本人は、横文字(主に英語)を見ると、なんとなくオシャレでかっこいい、と思う人が多いようです。そこで、横文字が書かれているTシャツなどが多く売られています。みなさんの中にも、英語らしき文字が書かれているTシャツを着ている人がいるでしょう。でも、その英語まちがっているかもしれませんよね。英語がわからない人には雰囲気だけあえばよく、文字があっているかどうかなんて全く関係ありません。台湾での日本語もこれと同じようなものです。

 台湾では、日本と同様、英語をオシャレでかっこいいと思う感覚もあるようですが、日本語のひらがなやカタカナもオシャレでかっこいいと思う人がいるようなのです。だから、台北の町には日本語も看板があふれ、その分、「書きまつがい」も多くあるのです。

 長野県長野市に、昨年まで台北日本人学校で同僚だったS先生がいます。S先生は台北日本学校で6年担任でしたが(平成17年度)、6年生におもしろい調査をさせました。「変な日本語探し」です。以下、S先生の学級通信から一部転載します。

・スポンヅケーキ ・カテオケ ・カラホケ ・キャソディー ・いらさいませ ・マッサツ ・しゃぷしゃぷ ・うラ丼 ・ヤロリ ・おじぎり弁当 ・ドンガツサンド ・スベイン ・カシ丼 ・ババイヤ ・かわゆい ・フライパソ ・ていふくろ ・トンカシ丼 ・ピーマソ ・とんかつテーメン ・ハマグソ ・オムライシ ・マツセージ ・しじゃも ・ひゃやっこ ・えぴチャーハソ ・メロンジース ・ラメソ ・クリーニソゲ ・マソガ ・アプルサイダ ・バダー ・トソカつ ・あしの塩焼き ・ジオフ ・ポうリング ・天ぴら ・アイス水 ・トテト ・カラボケ ・もしお客様が100人以上なら、座席を全部予約するのがいいでございます。85割引で承ります。

 これらの正解はわかりますか? 実におもしろいでしょう。S先生は、これらを掲げた後、次の考察を加えています。実に参考になります。

 こう見ていくといくつかの共通点が発見出来ます。/①カタカナの「ツ」と「シ」の区別がつきにくい。/②カタカナの「ソ」と「ン」の区別がつきにくい。/③詰まる音(促音)が理解しにくい。/※こういう事が分かると、日本語を外国人に教えるときに教えやすくなりますね。

 わかりやすい考察です。私も同感です。が、あえてS先生の考察に加えるとすれば、④ひらがなの「う」とカタカナの「ラ」の区別がつきにくい。⑤「が」「ざ」「だ」「ば」の濁点(だくてん)と「ぱ」「ぴ」「ぷ」「ぺ」「ぽ」の破裂音の丸の区別がつきにくい。の2つをあげましょう。

 いかがでしたか。日本語の「書きまつがい」。大いに笑いたいものですが、大切なことはまちがいの裏側には、それだけ日本という国・日本人に好意をもち、意識しているということなのです。笑った後に、この点をお忘れなく!

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2007年4月 4日 (水)

台湾のおもしろ書きまつがい Part3

【小学3年生の「台湾 不思議・発見!」シリーズ No.23

 台湾に暮らしていれば、多くの日本語「書きまつがい」と出会います。目にします。それは、子どもたちも同じです。(注:「書きまつがい」とは「書きまちがい」のこと。ちなみに、わざと使っています)。

 では、今回は小学3年生が見つけた「書きまつがい」を紹介しましょう。

4/22  日本と台わんの字①  〈3-1 I.N H17年度〉

 台わんも、日本語だったらいいのになぁと思うのに、台わんは、漢字で、日本は、漢字、カタカナ、ひらがなといろいろです。/時々、ひらがなのかんばんもありますが、まちがっているものが多いです。/おかしいなぁと思いました。

4/25  日本と台わんの字②

 「あっ、またまちがってる。」/ぼくは、いつも、ひらがながまちがっているのを、見るとこう言います。/マッサージが、マッサーツとか、ドーナッツが、ドーナッになったりします。/見つけると、おもしろいなぁとか、おかしいなぁとか思って、とても、楽しいです。/もっとないかぁと思っています。

 それが、まだまだたくさんあります。「マッサージ」が「マッサーツ」に、「ドーナッツ」が「ドーナッ」になる「書きまつがい」は3年生ならずともおもしろいです。楽しいです。

 台湾は、足裏マッサージが有名で、町にはたくさんのお店があります。それゆえ、マッサージの看板は多く、まちがいも他の看板より多いようです。

5/25  まちがっている!  〈3-2 Y.K H16年度〉

 台北のお店のかんばんに日本語でマッサージとかカラオケとか書いているかんばんがあります。書いてあるのはいいんですが、まちがっている字が書いてあります。たとえばマッサージだったら、「マツサーシ」や「マシサージ」みたいな事が書いてあります。カラオケは「カテオケ」です。もう一つ今どは、お母さんが見つけたんですが、「れたがし」書いてあって、お母さんは、わたがしだと思って見てみたら、なんと、マシュマロだったのです。

 最後のオチには、思わず笑ってしまいました。Y君のあげた「書きまつがい」を整理してみましょう。

 ○マッサージマツサーシ、マシサージ  カラオケカテオケ  ○わたがし(正体はマシュマロ)→れたがし 

 「書きまつがい」の文字は微妙(びみょう)に似ている字をあてはめて使っています。そうそう「マッサージ」には「マツサーヅ」という別な「書きまつがい」を書いた子もいました(S.M H17年度 4/20付発見ノート)。

 「書きまつがい」・・・・・・本当におもしろいです。 

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2007年4月 2日 (月)

台湾のおもしろ書きまつがい Part2

 では、今回も台湾の日本語「書きまつがい」を見てください。

Img_0394_3   写真を大きくしましたが、まだ小さくて見にくいようです。ごめんなさい。

 これは日本の会社の学習塾の看板です。有名な「進研ゼミ」です。台北日本人学校の近くにあり、多くの子が通っています。

 ここで見てもらいたいのは、赤字で書いてある「神田外語キッズクうづ」という文字です。「キッズクラブ」と書きたかったのでしょうが、なぜか「クラブが「クうづ」になっています。文字を「書きまつがい」しているのが、学習塾というのがおもしろいです。

 前回にしろ今回にしろ、ひらがなやカタカナを知らない台湾人は、文字の形だけを見て「この文字だ!」と判断しているのでしょうね。

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 次は笑えます。というより、私は我が目を疑いました。写真をよーく見てください。

 メニューにしっかり「クソセイチキソピサ&カレー」と書いてあります。そうです。メニューに「クソカレー」と堂々と書かれているのです。寄りによってカレーにクソはないだろう・・・本当にぶったまげました。

 もう気づきましたか? これは「クンセイチキンピザ&カレー」と書きたかったのです。漢字を使って書けば「燻製チキンピザ&カレー」となります。

 台北駅の新地下街にあるカレーショップでのことでした。ちなみに、カレーの味はまずまずでした。

 ところで、「書きまつがい」の文字を見ていると、文字を覚えたばかりの日本の子どもたちへの指導の参考になります。

・「ン」と「ソ」  ・「ラ」と「う」  ・「ブ」と「づ」  ・「キ」と「も」

  うーん、本当に似ています。まちがえるべくして、まちがえています。では、続きはまた明日。

〈注:「書きまつがい」は「書きまちがい」のパロディです。・・・「ほぼ日刊イトイ新聞」→「言いまつがい」参照〉

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2007年4月 1日 (日)

台湾のおもしろ書きまつがい Part1

 台湾は漢字の国です。

 しかし、いたる所に日本語の文字があふれています。日本語の文字とは、ひらがなやカタカナのことです。町の看板はもちろんのこと、商品名や飲食店のメニューなどでも、ひらがな・カタカナを目にします。それだけ台湾では、日本(または日本人)を意識しているってことです。

 ところが、すごーくおもしろいことに、日本語の文字の「言いまつがい」、いや「書きまつがい」が滅茶苦茶(めちゃくちゃ)たくさんあるのです。〈注:「言いまつがい」は「言いまちがい」のパロディです。・・・「ほぼ日刊イトイ新聞」参照〉

Img_0642  まず、これを見てください。

 お菓子です。先日、台湾から戻ってきた友人からお土産としてもらった物の1つです。

 商品名が「ホットケーも」です。いきなりドーンと来ました!(笑) 「ホットケーキ」と書くつもりが、「」が「」になっちゃったんですね。

 まだあります。「おいしさアッつ」です。「おいしさアップ」と書くつもりが、これまた「」がすべって「」になってしまったんでしょう。

 確かに「」と「」、「」と「」は似ています。それにしても「天然こくもの添加」の「こくもの」とは何なのでしょう。わからないので、このお菓子の袋の裏側を見てみましょう。

Img_0643  おっと裏には「卵黄ホットケーキ」と書いてありました。じゃあ、「」は「」と読ませたかったのでしょうか。でも「おいしさアッつ」はしっかり「」と書かれています。

 賞味期間などは、もっとおもしろいです。「封じこあるとこるこ」となっています。「こくもの」と合わせて、意味不明です。(と言ってもだいたい言いたいことはわかりますけどね)

 取扱上の注意の所も見てください。「…開封後はお早めにお召し上カリください」となっています。本来「がり」となる所が「カリ」になってしまっているんです。 おもしろいでしょう。

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 不思議なのは、台湾の人たちは日本のひらがなやカタカナを使う時、しっかり調べないのかな、ということです。でも、考えてみれば、私たち日本人が英語やフランス語など外国語を使う時も同じかもしれません。よく調べもしないで使っています。しかも日本には、和製英語と言って、日本人にしか通じない英語がたくさんありますから。

 日本語での書きまちがいが、看板や商品名に堂々と書かれているのは、確かにおもしろいです。笑えます。

 しかし、大切なことは、それをバカにするのではなく、それだけ日本を意識している親日的な国なんだ、ということを感じ取ることです

 そんなことを頭の隅(すみ)に置きながら、これから何回かに分けてお届けするおもしろ「書きまつがい」をお楽しみください。

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2007年1月 5日 (金)

祝! 台湾高速鉄道

 2007年(民國96年)1月5日。今日、台湾は記念すべき日となりました。つ、ついに、待ちに待った台湾新幹線が開業したのです。

 今朝7時。台北発高雄行きの第1号が運行しました。「台湾高速鉄道」とよばれる「台湾新幹線」は日本の新幹線技術が生かされています。日本の新幹線技術が海外で初めて採用された世界最大の民間鉄道プロジェクトです。それが、この台湾の地で花開いたのです。

 台湾の2大都市、台北-高雄間(345km)を結ぶ鉄道は、もちろん今までもありました。台湾を縦断する速い鉄道は、「自強号」とよばれる特急列車でした。それですと、台北-高雄間は4時間かかりました。私も旅行で何度か自強号に乗りましたが、高雄や台南から帰ってくる時は本当に長くて疲れました。それが、この新幹線ではたったの90分(1時間30分)でOKとなりました。今までと比べると、本当にあっという間です。

 少し専門的な話をしますと、車両は東海道・山陽新幹線を走る「のぞみ700系」をベースにした「700T型」12両編成(定員989人)で、純白のボディーに鮮やかなオレンジと黒のラインが入り、なかなかカッコいい車両に仕上がっています。【参考文献:2006年12月31日付『産経新聞』】 

 台湾高速鉄道は、本当はもっと早く開業するはずでした。私も台湾駐在時代に乗れるものと期待していました。が、1年延び2年延びといった具合で、今日に至った次第です。

 それにしても、台湾です。開業した今日。早くも利用客が騒いでいました。切符はこの3日分はすでに完売済みとのことですが、切符販売のコンピュータシステム上のミスで、1つの席を2人に売るなどのダブル・ブッキングが相次いで起こったようです。はたして明日は大丈夫なのでしょうか?

 時速300kmを出す台湾高速鉄道。切符販売も運営も、早く列車のようにスムースに動いてほしいですね。

 

 

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2006年11月 5日 (日)

阿里山への旅Ⅳ:阿里山での御来光

   阿里山観光の目玉の1つに、早朝の御来光(ごらいこう)があります。御来光とは、一般的に山の上から見る日の出のことを言います。

 阿里山の観光客のほとんどが、森林散策とこの御来光を目的にやってきます。小4のHさんの手紙には「・・・次の日、日の出を見に行くため朝3時に起きました。とっても寒かったけど・・・」(「阿里山への旅Ⅰ」参照)とあります。そうなんです。朝早く起きて、日の出を見に行くのです。かく言う私も御来光を拝みに行きました。

 Hさんは朝3時起床と言っていますが、8月に行った私もそのくらいの時間に起きました(3時半だったかなぁ)。阿里山に2泊したので、日の出は2日目、3日目と違うところで見ました。

 阿里山で迎えた初めての朝(2日目)は、前日、ホテル(阿里山閣大飯店)で予約したワゴン車に乗って見に行きました。同乗していたのは、台湾人の年配の夫婦と若い日本人家族でした。確か4時過ぎだったでしょうか、真っ暗な山道の中をワゴン車は走って行きました。なんでも台湾で一番高い山・玉山(日本統治時代「新高山」と呼ばれた山・前回参照)に、できるだけ近づいて日の出を見るという話でした。

Img_1513Img_1515Img_1520Img_1531Img_1528 30分以上 、いや1時間近く乗ったでしょうか。夜が白々と明け、どこまで行くのだろうと思っていたら、山の中腹の道で車は止まりました。降りると運転手が、ここが日の出ポイントだと言います。少し疑っていたのですが、道には続々車が止まりだし、山の中腹がにわか観光地になりました。

 きれいな青空を背景に、朝日が昇ってきました。阿里山での御来光です。時刻は朝5時35分頃でした。朝日はぐんぐん昇り、瞬く間に山を朝日で染め上げていきました。真夏の熱帯地方にいるのに、ここでは寒く、長袖のシャツの上にヤッケを羽織り、全部で計4枚も着こんでいました。それでもまだ寒いくらいでした。

Img_1542 日の出を見た後は、また来た道を戻りました。が、途中、前回書いた御神木を見たり、神秘的で雄大な枯れた御神木を見たりしました。・・・そして、その晩も夕食後早く寝ました。翌日、日の出を見に行くためです。

 起床時刻は、前日と同じです。阿里山2回目の朝(3日目)は、鉄道で日の出を見に行きました。しかし、前日と打って変わってこの日は、シトシトの雨。ご来光は拝めないだろうなぁ、と思いながら駅に向かいました。

 ホテルのすぐ近くにある沼平站(駅)に行くと、小雨にもかかわらず、もうすごい人です。150元で往復の切符「觀賞日出車票」を買って、ホームで列車を待ちました。待ちに待った列車に乗り込むと、もうラッシュのような状態です。25分ほどゴトゴト揺られ、日の出鑑賞のメッカ「祝山站(駅)」に着きました。

Img_1677 祝山・・・御来光にふさわしい実にいい名前です。駅には、この日の日の出の時刻と帰りの列車の時刻がでかでかと標示されていました。こんな山の上の早朝なのに、屋台はしっかり出ていました。さすがは、観光地です。

Img_1665_1 人の流れに沿って、坂道を登り、日の出スポットまで歩いていきました。しかし、やはりあいにくの天気。雨は上がったものの雲が厚く、この日は御来光を拝むことができませんでした。 でも、前日しっかり見ることができたので、個人的には満足しました。

 阿里山への旅シリーズは、これでおしまいです。阿里山を知れば知るほど、日本とのかかわりが深いことがわかります。私の勉強不足ですが、「祝山」の名前や「御来光」観光も日本人と関係しているかもしれませんね。最後になりましたが、このシリーズを書くきっかけを与えてくれたHさんに感謝いたします。ありがとうございました。

《追記》最後にもう一つ。日本人にうれしい阿里山情報をお届けしましょう。

 ・・・特に3月中旬から4月上旬は花見のシーズンとなる。なかでも阿里山はサクラが有名。台湾のサクラといえば、日本のサクラとは印象が異なる濃いピンク色の南国種のものが多いが、阿里山はソメイヨシノや八重桜など、日本でもおなじみのサクラが咲く。特に美しいのが阿里山賓館あたり。・・・   【『な~るほど・ザ・台湾』2005年4月号】

 これは日本人が持ち込み、植えたと考えた方が自然な気がします。はたしてどうなのでしょうか。

 

 

 

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2006年8月19日 (土)

朝青龍も昇った「101」

 全くの偶然なのですが、「台北101」のことを書いた昨日18日、横綱朝青龍をはじめとする大相撲の力士たちが「101」に昇りました。

 実は今日19日と明日20日の2日間、大相撲の台湾巡業が行われるのです。何でも日本相撲協会主催ではなく、現地の勧進元が主催する巡業は13年ぶりだそうです。また、台湾での公演・巡業は戦後初めてだそうです。

 昨日18日。朝青龍ら一行は、まず総統府を訪れ、陳水扁総統を表敬訪問しました。その後、市内観光をし、世界一高いビル「台北101」に昇りました。

 8月19日付産経新聞には、こう書かれています。

 力士はこの後、世界一の高さを誇る国際商業センター「台北101」を訪れ、89階にある展望台から市内の壮大な眺めを一望。琴欧州はデジカメに風景を収め、「こんな高いところは初めてだ」と興奮気味に語った。

 力士たちも「101」の世界一の高さを楽しんだようです。

 ところで、台湾巡業を主催した勧進元とは、台湾のテレビ局です。これについても新聞記事がありますので、見てみましょう。8月16日付産経新聞です。

 湾巡業は、日本企業の誘いを受けた現地企業が勧進元に名乗りを上げたことで実現。勧進元となる現地テレビ局関係者は「大相撲は台湾でも衛星放送で生中継されていて大勢のファンがいる」と話す。/約1万人を収容する会場の入場券の売れ行きは土俵周りがほぼ完売で、全体的にも上々だという。

 どうですか? 驚きませんか? 台湾でも大相撲は人気があるのです。もちろん、相撲好きな私も台湾駐在時代はテレビで本場所を見ていました。  

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2006年8月18日 (金)

お隣の国「台湾」を知ろう!-はじめに-

 「日本の隣の国は何ですか?」

 こう聞かれたら、みなさんは何と答えますか? 中国、韓国、ロシア、北朝鮮・・・中にはアメリカと答える人がいるかもしれませんね。でも、まだあるのです。そう、このブログで紹介する台湾もその一つです。

 突然ですが、2006年8月現在、世界一高いビルはどこにあるか知っていますか? 実は台湾の台北にあるのです。そして、今、台湾では台湾縦断するための新幹線の工事が急ピッチで進められています。新幹線はもちろん、日本製です。

 お隣の国ですが、みなさんはこんなこと知りませんよね。

 お隣の国「台湾」はおもしろい国です。楽しい国です。不思議な国です。そして、実にすばらしい国です。そんな魅力あふれる台湾の国をこれからみなさんに紹介していきます。一人でも多くの人が台湾に興味をもち、好きになってくれたら、私もうれしいです。

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